光永八ちゃんから最後の督促を受けてからさらに日が経った。入試もほぼ妨害なく進行しつつある二日目にやっと筆をとりおそくなり申訳なし。
卒業後三十年というけれどそれと同じ間殆んどジャングルで闘った横井庄一伍長の人生に比べると、変化のあったような無いような盧生一炊の夢に近いものを感じる。しかしその間不変のものが貫いているとも思える。同窓諸兄と相まみえた時に感じるアノ連続性がそれであろう。ただ横に素敵な奥さんが添加されていて現実に引き戻されるわけである。
ところで昨夏のいわゆるニクソンショック以来いろいろなことが起って、これでもかこれでもかと戦前派に与えられるショックは、それなりに対応の重さを感ぜざるをえない。
ドル防衛という名の経済戦争を動かしている資本主義の約束は避けることができないままに、ナショナルインタレストという呼び方でセルフラブがカバーされる。多国間調整のそれぞれの主役たちがそれぞれに「御自愛を祈る」という奴だ。量から質へ、成長より高福祉を・・・だが世界は観念では動かない。しかも一方では動かない観念を横井伍長は守り続けた。「恥かしいけれど帰ってきました」とは、何という閃光であろう。アナクロニズムを包み込む日本人の、日本におけるタイムトンネルの探さはそれなりに切なさがあふれている。しかし問題は彼がそのトンネルをどう抜けるかではない、われわれがはたして抜け出ているのかということであろう。同窓会!それは入口への、潜勢への還帰の中にトンネル脱出のいこいをこめる在り方の相互、集団保障である。
近頃頭が固くなったのか、油が利きすぎたのか、変にぎごちない表現を呈して申訳ないが、それもこれも初代中村委員長以来の多くの幹事諸公の私心なき活動のおかげであり、それらを支えた奥様方の慈愛の賜である。
奥様方といえば連合赤軍に人質となった牟田康子さんが、救出後の第一声に「ごめんね」といったとか。万感を以て人に迫る一語である。「ごめんね」とはそのままでは人にあやまる表現である。しかし康子さんがあやまるべき何物ももたぬままに口を衝いたこの言葉には、日本の婦人の、そして夫婦愛に生きる妻の極限の姿が如実に映し出されている。美しい、切ない言葉であった。
世界中に今日も無数の言葉がかわされている。周・ニクソン会談、共同コミュニケの中にも亦多くの言葉が在る。しかし言葉だけが表現ではないし、他方人間とは表現する存在である。あるいは表現が人間であり、表現された世界を通じて対立もする。対立の根元は人間による人間の支配である。人の上にも下にも人は造られなかったはずであることを痛恨に至るまで問うこと、そしてはねかえってくる言葉をたしかめ合うこと、私は同窓会での妄言酔語の中にも案外そのようなものが皺の中に、白髪の中にこもっていると思えてならない。般若湯はありがたき哉!
一橋の栄光とは何だろう?青春の讃歌とは何だろう?受け継ぎ、足し加え、のこし継ぐものは何だろう?みんなで教えてほしい。知りたい、分りたい、もっともっと学びたいが、こんなけなげな一面も残っているのに、ただもどかしい。
このもどかしさへとてか、郷里福岡に明治年間気象台創設以来の降雪で、あわてて咲いた梅が戸惑っているというニュース。三月四日の夜である。
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