七組 金子 太助

  社会は限りなき変動と前進を続けているが、私はそのなかにあつて何かしら共通したものが周期的に繰り返えされることを感ずる。人は昔からその生涯において三−四度位公私を包含した様なショック乃至は一大変化を経験するといわれている。過日久し振りで同じゼミの某君と雑談を交わした処、図らずも次の三大ショックに意見の一致をみて一層その感を深くした。

関東大震災 
日米開戦
そして今回のニクソンショック

  このうち前者の二大ショックは既に経験ずみであり、特に第二次世界大戦終結後は偶々私は外地に居たためソ連の捕虜ということでその辛酸を現実に肉体的に味わされ、いまなおその経験のお蔭で少し位の苦労はあの時に比べればということで反っていゝ経験になったとも思っている。気休めではないがさあ経験したいと思ってもなかなか出来ないことであると思っている。日本自体も敗戦に数々の辛酸をなめ、これが幸いしてか反ってその后の高度成長を招来したともいえる。そしてこれがまた禍となったのかどうかは分らないが、今回のニクソンショックとなって現われたともいえる。

  今回のニクソンショックの影響は今后どの様なプロセスでどんな姿になるのか一寸予測は出来ないが、これを幸となすか不幸となすかは一つにかかって私達日本人の心掛けと頑張り次第であると思う。

 また資本主義経済を担うチャンピオン米国が今回の様なカづくで一方的に経済を押えるやり方に対し、私は何かしらアメリカ時代は終ったという感じがしないでもないが、これは私だけの感じであろうか。「天下廻りもち」という言葉をあらためて思い出す。