五組 谷 虎三郎
 
  今でも私の許に送られてくる郵便物には肩書として「専務取締役」と書いてくるものが多いが、実は四七年六月の総会後の取締役会で私は平取におっこちたのである。このことについて私は十二月クラブの諸兄に何んの挨拶もしていない。実際恰好のいゝ話ではないからである。新聞の「役員異動」の欄にも載らなかった。諸兄の中では「さてはあいつ何かへまをやったな」とか「不正でも仕でかしたのではないか」と受取られる向もあろうかと思うが、それについて理由を説明しようとも弁解しようとも思わない。それは飽くまでも一私企業内部の問題だからである。

  今年の三月私は従来の担当業務から閑職に変っていた。そして間接的にトップからは六月の総会を限りに退社の話が伝えられていた。いわば首である。私も勿論浪々の身を覚悟していた。しかし、結果的に残ることになったのである。平取として。私事をくだくだ書いたのは他意あってのことではない。人間の運についてしみじみ考えさせられたからである。私も閑職にあった時期に殊勝にも隔週日曜日円覚寺で行われる朝比奈宗源老師の法話を聞きに行き雑念を掃おうかと思ったことがある。しかしこれも思っただけで遂に一回も行かなかった。所詮私は俗物なのである。

  三七年に再建のため出向して一応六期目に復配まで漕ぎつけて六%、八%、一〇%、十二%と増配したまではよかったし、二回増資をして東証・大証一部銘柄に指定替えになったのも結構だったが急速に業績低下、誠に面目次第もない話で、いわば経営者失格の烙印を押されたのである。

 十二月クラブ諸兄の大部分は経営の中枢にあって活躍されておられる訳だが波に乗れた人と乗れなかった人があることは事事である。これはその人の能力だけで決ることではないように思われて仕方がない。学校出てから三〇年恵まれた半生を送った人、そうでない人、所詮人生ドラスチックなものであることをしみじみ味わっている。そこで敢て「専務落第記」を御笑読に供する次第。