五組 張 漢 卿
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卒業三十周年といわれて急に老いこみました。十周年の一九五二年は朝鮮戦争で米中対決、日本は経済復興の年、二十周年の一九六一年は中ソ決裂、日本は史上末曽有の経済成長を見た六十年代の第一年、また三十周年の一九七一年はニクソン・ショック、日米外交転換の年、こうふり返ってみると変幻きわまりない三十年でした。さて四十周年の一九八一年に世界はどうなっていることだろう、また我々自体がどうなっていることだろうかと考えさせられます。 岩戸景気からエコノミック・アニマルが生れ、総生産と総公害をGNPの中で如何にして調整するかが問題となり、ハッピネスとは何ぞやが改めて検討されることになりました。日本の素晴らしい経済成長について青い眼、黒い眼、いろんな人が筆をとっているが、その人たちが余りとりあげていない点は、六十年代の高度成長、高度都市化にも拘らず、暴力犯罪件数が年ごとに減っていることです。これは日本の統計年鑑を裏の方から先にめくっていくとすぐに目につくことなのに、大抵の人は前の方からめくって、経済統計だけで日本を論ずるのです。工業化、都市化が進むほど暴力犯罪が増加する。これが欧米諸国の辿ってきたみちでした。 ソ連や東欧諸国の共産主義を以ては現代中国が説明出来ないのと同じように、アメリカや西欧諸国の資本主義では現代日本を説明出来ないのでありましょう。漢方薬や針灸が西洋医学で説明できないように、東洋の社会倫理には西洋の社会科学では割り切れない神秘的なものがありましょう。しかし東洋を神秘的というのは西洋の立場にたっていうことであり、東洋の観点に立ちかえれば、むしろ西洋のことが、不可思議になって来ます、一橋会会歌を作った先輩が、「法燈うすれ、聖教の道とこしえに空しきか」と歎きました。 しかし「道」は空しくなっていなかったのです。二十世紀の後半に入り、日本と中国が世界の耳目を集めたが、それを単にダムを作った、自動車を作った、所得が五倍になったという物資面から把握しているのは、一般の大衆だけです。欧米においても有識者、指導者の間で論議されるのは、何故に日本及び中国では伝統の道徳観念を破壊せずに経済発展が成しとげられたのか、という点です。つまり、経済成長そのものは先進諸国にとっては何も珍しくない、むしろ高度成長をとげながら、しかも国家観念、対人関係、社会奉仕などにつき、まだ旧来の道徳を失っていないということが珍しいのです。「カム・ホーム、アメリカ」という悲痛な呼びかけをききながら、太平洋のむこう岸に思いをはせるとき、東洋にはまだまだ大きい望みが残っていると心強く思いました。 |
1970年EXPO70大阪万博が開催された。 張漢卿君(Mr.Edward H.Chang)はカナダ・オンタリオ 州政府館の館長として来日していた。 小生はONTARIO DAYのCELEBRATIONに招待して頂いた。 (下の写真はその時の招待状です。) 会期中多数の十二月クラブ・メンバ−が訪問した。 |
左の写真ははカナダ・オンタリオ州政府代表の招待状です。 | 2002・07・19 張君から36年前を回顧した EMAILと当時のトルド−首相来日の際の 記念写真が届きました。クリックしてご覧下さい。 |