七組  杉江  清
 
  卒業後三十年、私は皆さんより、もう数年長い社会生活を送っているが、顧みてずいぶんといろいろな経験を重ねてきたものだと思う。皆さんの多くは経済界において活躍され、あるいはそれと密着した仕事にたずさわってこられたが、私は教員生活と長い間の文部省生活で教育行政の道を歩いてきた。この間産業教育の振興など私の経歴にふさわしい仕事であったかも知れないが、中学校、高等学校の教育課程の改訂、とくに道徳教育の強化、社会科の改訂、理科教育の振興など教育の本質にふれる問題にも深入りしてきたし、また体育に不得手であった私が体育行政をやり、東京オリンピックの準備もやってきた。戦後の異常な人口増と科学技術者養成の急務にこたえて大学学部学科の増設、科学への助成などなかなかたいへんな仕事であったし、また研究所の整備、南極観測事業の推進のこと、後程世人の注目をあびた大学紛争の処理にも苦労してきた。行政官とはある意味おかしなもので、これでよいかと思う程、いろんなことをやらされる。一番有難いのは本人で、多くのことを自然に勉強させられ、自然に視野を広められる。

 科学博物館長になったのも意外であった。動物学の権威であった老館長の跡をついだのだが、自然科学にうとい私はいさゝか当惑したものだった。しかしおかげで二度にわたって世界の主要博物館を見る機会を与えられ、科学博物館の在り方については一応世界的視野において考えることができるようになった。多くの自然科学者の純粋真摯な学問研究の世界にもふれることができ、天体望遠鏡をのぞいて宇宙の神秘にあらためて驚異を感じ、数億年、数千万年前の化石にふれて、悠久の時の流れの中における生命の生成発展の姿に深い興味を覚えるようになった。今本館の一階と二階に新しくできている「微生物から人類まで」「適応と進化」の展示に研究者と共に苦労してきたことは私の楽しい想出である。

 だが昨年から公立学校共済組合の仕事をすることとなった。全国九十万の公立学校の先生方の年金や医療給付、また福祉事業としての病院や宿泊施設の経営の仕事にたずさわっている。集積された巨大な資金の運用管理で銀行や証券会社とも深い関係をもつようになった。とくにこの一年間は大きな赤字を抱えている病院の経営改善に私の精力の大部分を用いている。病院の廃止か存続かの選択を迫られ、存続のために、きびしい合理化の措置、ことに人件費の節減を実施せざるを得ないこととなった。すでに十数回の団体交渉を重ねてきたが、年末までは事態は改善されそうにない。経営者の立場のつらさをしみじみ感じている。一橋出身者としてふさわしい仕事をすることになったともいえようが、こゝでの仕事は余りにも現実的でうるおいがない。だがこのきびしさを耐え抜くことによって、自分は何かを学び何かが付加されることを一面いぶかりながらも期待している。