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七組 麻生 泰正
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「三〇年」という言感から卒業以来どう生きて来たかと考える。悠久な宇宙の生命から見れば、光茫一閃のような人生ではあるが、その僅かな人生に占める三〇年の重さと意味は計り知れないと思う。さて自分の三〇年はと振り返ると何をして来たかとの疑いが懐かれる。 卒業と同時に、軍隊に。三年八ヶ月約四年間は多感な青春時代であっただけに、嵐の時代であっただけに忘れ得ぬ日月であった。マニラ(キャビテ)、香港、上海、厦門、辿頭、広東、台北など今では曽遊の地として記憶に残り、神戸、浦賀、横浜は戦争末期の苦悩の地として想い出される。 敗戦混乱の時期を経て北海道生活の一〇年は結婚、二人の女子を得て一つの区切りであった。東京に帰えり十数年、浪人、 釧路での会社設立、それからサラリーマンとひととうり人並の経験をした。さて、そろそろ停年である。余生を如何に過すべきかを考えている。望むべくんば優雅な生活を送れたらと念じている。 晴耕雨読の枯淡な心境には到底達する筈はなく、経済的にもその余裕はない。然しこの三〇年間に通算数年に亘る定職のない生活は決して楽しいものではなかったが、束縛されない自由があった。優雅な生活とは束縛から解放され仕事を離れて考える時間を、また自由に使える時間を持つ生活である。 この二〇年の各方面における急激な変化は学習した思考方法を遥かに超えるものであり、私自身何かとりのこされた思いに駆られる。物象の現象と生命の現象が相交錯領域の科学として、分子生物学、酵素科学、微生物科学、生態学など学生時代には耳にしなかった領域が現われ、その理論の証明は実験と普通の数学的論理では不可能になり、統計数学がとって代った。例えば計量生物学、計量心理学、新しい宇宙進化論の世界が拓かれた。 人間が自らを救い、自らの棲む地球を喪うまいとするなら、人間の知性は従来の科学の外に、蓄積された科学の資料を利用しつつも、新しい人間科学体系をつくらねばならないと言われている。質量的物質論に代って、新物質構造論と電磁光波理論が登場し、また量子学が生れた。このような人間の科学としての知性体系の変革が、十九世紀の知性の社会体制の下で部分的に統一性なしに利用されているのみで、新しい哲学を持たないところに現在の矛盾が生れている。心理学は魂核粒子の統制下にある精神粒子の電気的活動という作用の作用体を研究するものとなり、深層心理学は空間と時間の制約のない波動力学となっている。即ち最早唯心、唯物の二元論の時代ではなくなったと言えよう。これらを包括に理解し得る新綜合進化論の哲学が、或いはまた新しく構成された唯物弁証法史観が必要とされると言われる。 人類が今や地球を変えて行かねばならぬとき、星雲宇宙を含む宇宙環境の影響のもとでの、人類各集団とも、人類以外の他生物集団とも共存共棲できる道を求めねばならない。自然現象として、広義自然科学の分野である事柄を社会科学的現象として取扱わねばならなくなったのである。 このように物の考え方の根本が変りそうな時代に、貧弱な思考能力しかない私には追いついてゆけない焦燥感がつきまとう。この三〇年間の価値は何んであったかと考える。私の人生での三〇年間は重いものであったが、その価値は反省せねばならない。早い話が環境汚染、公害発生に一役買い、仕事をしたと自負していたのではなかろうかと。 こゝに、優雅な生活にあこがれる想いの基本がある。そして人間の資質の向上的形成はどのような知性的理解がいるのかを 一つの仮説を持ってみたいと思う。 さて、このように空想はするものの、それこそ現実は厳しい。そしてますます身近かに感ぜられるようになる十二月クラブの諸兄との交友を楽しみに暮すことであろう。女房より古いつき合いは十二月クラブの諸兄である。昨年は松本君が逝った。彼との交友は、時間的には断片的であってもその印象は鮮やかである。今後は友を失うことなく、四〇周年、五〇周年を迎えたいと念じている。 三〇周年文集によせた定年間近かな初老のわが感想も、人生の区切りの一としての時期における私にはよいモニュメントになるであろう。友よ、爽やかに生き給え。 |