六組 三好 啓治
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卒業三十周年記念文集にものを書く私には、あと二年余で第一の社会生活が終わろうとしているが、今は第二の人生とか仕事とかを考える暇のないほど忙しい。大部分の十二月クラブメンバーと異なり、三重県の高野君、兵庫県の渡辺君と私ぐらいが地方庁勤務の公務員ということであろう。しかも私は、戦後の十年間は堂々と教壇に立ち、三千人の教え子を出したという社会的遺産に僅かな満足をもっている。昭和三十一年に県庁に入り、香港に二年間駐在したりしていたが、現在は商工水産部長三年目である。社会的にみれば、県庁の部長なんかは本省の課長級ぐらいにしかみられていないが、私に関する限りそんなことはどうでもよい。時々、役人風を吹かせる奴がいると、「僕の中学校の同期生に通産省の両角次官がいてね」とか、「○○君は僕の大学のゼミで一緒でね」とかいうと一ペんに態度が変る。 昔の役人は、退職したら恩給もらって悠々自適の生活ができたそうだが今はそうはいかない。そうかといって第二の人生も人に使われて月給をもらうのもすかない。何かやりたいかと問われると、 「誤った言論をふり廻して人心をまどわすやからを徹底的にたたく言論を思いきりやりたい」と答える。 地方庁も国と同じで議会とマスコミには一方ならぬ神経をつかう。どこかの知事が住民の抗議団に土下座してあやまった写真が出ていたが、同情に堪えない。 商工水産部長というのは、公害の源である商工と公害をうける水産をもって、人間の経済活動のうち、農林を除いた凡てを受けもつのだからたまらない。「瀬戸内海は死の海だ」とタッタ九字を印刷することによって、知らない人はどんな印象をうけるのだろうか。 私の住んでいるところは、岸信介、佐藤栄作の選出区であり、兄弟総理を出したどころか伊藤博文の出身地でもあるだけに政治の好きな県である。共産党の宮本顕治も出た。それだけに、地方庁にも政争が激しい。そんなところで、県庁の部長がどんな苦労があるかは仲々わからない。しかし、私の任期中には、積水ハウスとか東洋工業とか優秀な企業の誘致ができたのがせめてもの慰みである。 退職後も郷土に残り、二女一男のカタをつけることと、思いきり自由な身になって、次の卒業四十周年記念行事を迎えるべく、長生きすることが現在頭の中にあるだけだ。 一橋卒業時の記念アルバムに「夢さめて肌へに寒し秋の風」と当時の印象を十七文字にうたったが、戦争のために夢のくだかれた多くの十二月クラブメンバーのご多幸を祈り、ご西下の節はぜひご連絡を乞う。 |