一組  鈴木 貞夫

  卒業以来すでに三十年、顧みてその内容の余りに平々凡々なのに呆れ、悔み、かつ忸怩たるものがある。

  私が日常よく口にすることだが、「身体の成長は中学四年の時の身長一七〇糎から少しも伸びず、頭脳の進歩も大学卒業と共に停止した」のではないだろうか。

 性懲りもなく、本屋の店頭から新刊書を買っては来るものの、せいぜい目次を見る位のところで、あとはむなしく放置されて了うのがオチである。

 道路が混雑すると云うこともあって、帰宅は概ねキチンとして早い。併しそのあとは殆んどテレビの前に馬鹿面をして座り込んでいることになる。

 あれ程好きだった旅行も余りやらない。何処へ行っても人と車が一杯なのに閉口で、今ではお義理の旅行しかしていない。

 そのほか、お遊びも余り見るべきものがない。マージャンも最近は年に一回位、家族のみで正月にパイを握るのが精一杯。 ゴルフはよく行く。多い時では年に五〇回近く行ったことがある。だから毎週一回と云うことになろうか。それにしては、オフィシャル・ハンデは今以て二一だから、お粗末なものだ。昭和三十七年秋から始めて、すでに満九年になる。僅かに眼覚ましかったのは、三年前の昭和四十三年のこと。当時所属していた狭山でも、優勝・入賞を四回程経験し、プライべート・コンペでは数知れぬ位賞を貰い、ハンデもこの年だけで二八から二一になった。

 最近家族四人が揃って出来ると云うことで、ボーリングも何回かやった。始めたばかりでとやかく言うのもおこがましいがゴルフの方がはるかに面白い。手足や腰の動く限りゴルフは続けたい。
 ゴルフ、時にはボーリングなどやっているためか、健康はまづまづだ。大事にして無茶はしないから当分長持ちすることと思っている。

 最後に家族の現況にふれておきたい。
 家内とはこの秋で満二八年の共同生活をしたことになる。お互いによく続いたものだと顔を見合せて苦笑する昨今である。ただ家内は、私よりは病気勝ちであるから、その点に注意して、明後年の結婚三〇年には二人だけでのんびりした旅行をして見たいと念願している。娘は大分とうが立って来て了い、困っている。尤も、本人は割合に呑気なことを言っている。勿論結婚する意志がない訳ではないが、「会った時に胸にピンと来る人がいない」なんて言っている。そして相も変らずピアノと歌に熱を上げている。目下二つのコーラス・グループに入り、それぞれパート・リーダーなどしながら楽しんでいるようだ。
 
  息子は来春、電機大学電気通信工学部を卒業する予定だが、ラヂオやテレビの仕事が好きなようで、以前から主としてTBS、時にはNHKにもアルバイトに行っており、将来もそのような方面に進みたいらしい。私としては数年の間に自活さえ出来れば、通常のサラリーマン生活を送らなくても良いし、好きな道を進めと言ってある。