六組 大居 啓司
|
||
もう九月も末に近い夕暮れだった。私の乗った十トン余りの船は、羅臼を出発してから一時問程たった。かなりゆれが激しくなってきた。北の海の夜の寒さは身にしみる。私は船頭からゴム合羽を借りて、同行のK君と舟底へ潜りこんだ。そして、早くもこの旅を後悔しはじめた。 行動型のK君が、知床の突端の鮭の定置網を見に行こう、そこで魚釣りをやろう、と言い出して、この物資の輸送船に便乗している次第である。 ゆれと寒さに蘇拝して、長い時間がたったように思われる。ついうとうととした頃、“着いたぞう”の声に、浅い眠りから目が覚めた。いつの間にか波がおさまって、静かな暗い海の向うに、ポツンと灯が見える。それが私とK君の行こうとしている番屋だ。私達のために、小舟が一そう、番屋から漕ぎ寄せられた。 あきあじの番屋は、薄暗いランプの中で、粗末であった。板じきで、右側にはハンモックがいくつも吊ってある。左隅には大きないろりがあり、鮭の切身をとうした鉄串が、幾本も立ててある。 この番屋の主人公は大男だ。長い間潮風にさらされた顔で、かなりの年配に見受けられる。よく来てくれた、まあ一杯、と茶碗酒と焼きたての鮭の切身をすすめてくれた。これは寒さにふるえてきた私にとって、何よりのご馳走だ。あんた達のものだ、これは、我々は鮭には食い飽きた。ボソボソと、大男がしゃべった。 朝早く海岸へ出る。北の海には慈悲がない。狭い海岸には、岩が大小無数に並ぶ。晴れた空が冷い風を運ぶ。番屋の真後ろには、見上げるような崖が迫っている。崖の中腹に黒い点のようなものがある。あれはおじろ鷲の巣で、油断をすると、海岸おいた鮭をさらわれることがよくあるそうだ。 昨夜、小舟で迎えに来てくれた若い漁夫が岩の聞から、籠のようなものを引き上げている。中には魚がいっぱいだ。これが私達の朝食となった。 朝食後、小舟にのって網おこしを見に行く。鮭が水面に見えてくるにつれて、勢いよく飛び跳ねているのが、はっきりわかる。海の青と、鱗の銀が美しい。五百尾前後というが、まさに壮観だ。 ふと気がつくと、国後島が間近に見える。大きく、黒々として、しかも、生物のように見えるのは、私達が手の触れることの出来ない異国の故だろうか。 番屋への帰路、釣りを楽しむことにする。持参の釣り道具にさんまの餌をつける。四十糎ほどのかれい、あいなめが面白いようにかかる。K君は針を三つつけていて、一度に三尾も釣りあげる。三十分くらい夢中になっているうちに、舟は魚でいっぱいになる。これでは持ち帰えることも出来ないと思った頃、K君も同じ考えか、もう止めよう、の声がかかった。 小舟を番屋につけ、別れの挨拶を述べ、お礼にと清酒五本差し出したところ、獲れたばかりの鮭をやはり五本、無雑作に、私達の船に投げ入れた。 帰える途中、船の上で、釣った魚の頭を切り、内臓を取る。これを海中に投げ捨てると、無数のごめの大群が見る間に頭上を乱舞する。海にむらがって、争そって、この獲物におそいかかる。 その光景を、ぼんやり眺めながら、電話のないところは良いなあ、とK君がポツンと言った。 |