二組  中牟田研市

  “横井さん”
 
  年のせいか、そろそろしなびて来た私に子供達がつけた仇名である。悲劇の英雄“横井さん”にはすまないが、全く嬉しくない話である。

  “横井さん。煙草は半分以上吸うと毒だよ。”

  高校生の長男が云う。

  “うん。“
 
  女房にいわれれば、意地でも“うるさい。“とはねつける私だが、此頃、自分でも不思議な程、子供たちには素直である。私も年なのかも知れない。  
 
  五十年余。長いようで、過ぎて見れば短い。古女房と一緒になったのも、つい昨日のように思える時もある。その上五十才を境に私の一身上の変化は、余りにも急激であつた。国鉄というマンモス組織を離れて、小さな不動産屋となり、必然的に気楽で経済的な官舎住いから、いやが応でも一軒の家を構えねばならなかった。結婚が遅かったので、今頃になって子供たちは受験の連続で、その上教育費が大変と女房がこぼす。今更生甲斐は感じないが、嫌でも親としての生きる義務だけは、ひしひしと感じさせられてしまう。こんな有様で世帯やつれした私を、その原因者たちは残酷な仇名をつけてからかうのである。私はこの親不孝者たちの性根をたゝき直す気力すら失ったのだろうか。こんな私が国鉄の大組織の中では、これを動かす力があると思い込んでいたとは、自意識過剰も甚だしいと恥入る次第である。
 
  銀行からお金を借りることは、かくも大変なことか。お役所の認可をうけるには、かくも手間、ひまのかゝることか。等々 ……。身に泌みて浮世の辛さを味う昨今である。しかし、五十といえば働き盛り、何のこれしき、へこたれるものか。
 
  “ガンバラなくっチャ“
 
  受験期の伜に気合をかけながら、私は自分の心にいゝきかすのである。