班 長
板垣 助教授

顧 問
高瀬 学長
根岸 講師
太刀川 先生
ーー卒 業 生ーー

青木尚一郎  田邊一男  上野富造  唐澤重人
藤本泰弘  茂木利孝  芝崎有作  城所吉男
熊谷 長  林 英雄  武藤太郎  田中仁栄
南川福三郎  山下博文  松本信喜  菅谷寛一
小池眞登  井上一造  谷 虎三郎  張 漢卿
鈴木栄喜  本間龍夫  宮崎静二  伊藤信典
金子太助  羽鳥忠二  鴨田保美  野崎義之
中村 豊  秋元 茂
国士狭隘にして天然資源に恵まれざる我国は、その発展をとうしても廣大なる海外に求めなければならぬぬ。
海外発展のパイオニアとして、又そのリーダーとして我が一橋の先輩は目覚ましい活躍を続けて来た。

此の一橋伝統の精神に然え、海外雄飛の志を同じうする者の集ふ我が太平洋倶楽部はその昔東亜倶楽部と称したる時代より既に四十有余年の歴史を有する。
その間我が倶楽部員は満・鮮・支・台は言ふに及ばず北米・南洋諸地方に、更に遠く豪州・アフリカにまで足跡を印した。そして未知の風物に接して眼界を廣くすると共に我国の眞の姿を反省する機会に恵まれた。

我々は今や未曾有の重大時局に際会し、我々の身を以て体得したる知識と実践力が我国の発展に貢献する所あるを期して居る。






ガーデン・ブリッジー上海ー
 大 陸 班
一、満鮮班 中村豊、秋元茂、上野富造
        (昭和十四年)
        茂木利孝、唐澤重人
        野島義之、羽鳥忠二
        城所吉男、田邊一男
        (昭和十五年)
二、蒙彊班 金子太助(
        昭和十四年)
三、中支班 田中仁栄
  (昭和十六年興亜学生勤労報国隊に参加して)
四 台湾班 芝崎有作
        (昭和十四年)

新京駅

蒙古人の住家包ーー右翼旗
南嶺ーー新京郊外ーー

弥栄村公所



露人墓地ーーハルピン
ハルピンのバスガール
バンコック山田長政の神前

マニラ市街
南洋班

一、比律賓班 田中仁栄
         (昭和十四年)
         大野晴里、
         鈴木栄喜 
         井上一造、
         小池眞登
         (昭和十五年)
二、布哇班  南川福三郎
         (昭和十五年)

バンコックより
ワット・アルン
を望む。
三 泰・佛印班 
         伊藤信典
         (昭和十五年〕  
         南川福三郎、
         鴨田保美
         (昭和十六年) 






  四、内南洋班   武藤太郎
          (昭和十五年度
           神戸高等商船学校
           練習船進徳丸便乗)


ナイアガラ

ニューヨーク

サンタフェ急行
コロンビア大学図書館前

Drive In
Drive In とは自動車に乗ったまま
食事が出来る様になっているレストラン、
女の子が注文を取りに来て、その品を
自動車まで運んでくれる。
   アメリカの印象
 
アメリカと言へば誰でも持てる国アメリカ を想像する。実際に行つて見てもその感が決深い。
そして萬事スケールが大きい。
何十階とあるビルディングが林立し、廣い坦々たる道路が何所までも続いて居り、
河には長い立振な橋がかゝつて居るのを見て、一応驚かされれる。

此の持てる国アメリカにも持たざる悩がある。
それは歴史である。アメリカにほ史蹟が少い。
従つてつまらない所にまで仰々しいい史蹟の碑を建てゝ気休めにして居る。

アメリカ人はシンプルでお人好である。
物資は豊富であり、僅かな労働に対しても莫大な報酬が得られるのだから、金持の坊ちやん同様そうなるのも当然だらう。そして大金持から貧乏人に至るまで夫々自分の生活を楽しむ事が出来る様になつて居る。
斯くの如く生活が楽になるに従い、
嘗ての崇高なるピュリタニズムやパイオニア・スピリットの気魄ほ次第に影を潜めて行く。


左 於スタンフォード大 林 英雄(昭和14年)

右 於コロンビア大 田中 仁栄(昭和15年)
Fifth Avenue,NY
Radio City,NY


リンカーン記念館、ワシントン
議事堂、ワシントン