篭城事件写真
井上蔵相との会見

警官隊との衝突

第四期 学問的覚醒時代
国立移転より五月事件まで
 昭和五年---十一年
 
沈滞期と龍城事件
沈滞の一橋にひとり社会的関心をもって動をつづけたS・P・Sも昭和六年に消滅し八年にはもはや残滓も消え失せる。籠城事件もその悲愴な闘争の姿にもかかはらず、沈淪する一橋を救ふことは出来なかった。
七年四月の一橋会総会からそれは委任状総会となり、
教授会は昇格運動の情熱を忘れて職業化した。

 昭和六年十月一日突如予科専門部廃止の断案が飛んで
光輝ある歴史は再び官僚学閥に蹂躙されんとした。井上蔵相のデフレ政策による僅か八萬円の節約が當面の理由だった。武蔵野を放浪する予科生も獨立を劃策する専門部生も
愕然として橋畔に集まった。悲憤その極に達し五日つひに一橋の故地に籠城するに至った橋人二千は、輿論の圧倒的支持を得て、 一糸乱れぬ統制の下に連日警官と衝突しつつデモを行ひ、大蔵文部両省に陳情し、総退学を決議し、生醒き戦ひの数日の後、八日つひに暴案を徹回せしめた。

 この事件は一橋に活気を与へたやうに見え、クラス委員会等が沈滞打破を叫んだがそれも泡沫の如く消えて泥沼への沈潜は続く。十一月には一橋会本科会の会費納入不足で
各部支払停止の止むなきに至り、本科会不要論すら唱へられた。八年二月にはじまった学制改革審議は落第制、必修及び技術科目の増加となって現はれ、かつての理想と正に逆の方向をたどった。学生の無関心は白票事件に至るまで変らない。

総退学の血判


高潮せる学生大会
篭城を心配する父兄
炊事


学生大会