1組  河村 友三

 

 学窓を出て漸く四十年に垂んとする頃になって、今迄随分人様の世話になったし、.又何度か命拾いしたので、そろそろ社会に恩返しをしなければと思ったりするが、又愚妻には元気な中に人並みに海外旅行位連れて行けと度々せがまれるが、急成長中の会杜で多数の平均年齢二五歳弱の若者達に囲まれていると、この連中のため将来喜んでくれる様な会社にしようと社業に精出しているこの頃である。

 去る四十八年秋三菱銀行をやめて当杜に入社して八年近くなるが、当社は当時北海道、東北、北陸地方を地盤のローカル信販会社に過ぎたかったので、よく私は北海道か東北の出身ですかと聞かれたものだ。その後全国展開したが、当時清水の舞台から飛び降りるつもりで、東京大阪に支店を出したばかりであった。拓銀等はよく面倒を見てくれていたが、更に三菱銀行と急速に親しくなり、偶々創業杜長が一橋の先輩ということで私が当社に入る廻り合せとなったと聞いている。

 消費者信用産業の急成長振りは眼をみはるものがある。茲数年の伸びはGNP年率11%をかなり上廻る18%を挙げているが「我々信販会社は更にこれを大きく上廻る37%と飛躍的な伸びを示している。当社の規模は私の入社以来約10倍になったが、急成長に伴う歪もあり人材の確保組織体制の整備等で不十分な点が多く、気の安まる暇もないが、創造の楽しみで頑張っている。

 こんな会社だが自慢できることとしたら、株主総会を金を全く使わないで正常に運営していることだろう。先週株主総会を終ったが地元の協力も得て例の人達を繋退することができた。これは若い会社の心意気だと思っている。まだ当分若々しく、したたかに頑張る外ないと諦めている。