1組 泰地喜惣次 |
戦後数年を経たある日の昼下り、銀座の街角でばったりと出合った一橋二年後輩のKさんと、お茶を飲みながら偶然の邂逅を喜ぴ合ったが、話しているうちに彼の物腰態度から言葉の内容に至るまで、学生時代のイメージから格段の成長をしたのに驚いて、一体あなたは此の波欄万丈の数年間をどのような修養をして過ごされたのですかと質問してみた。 Kさんが答えて言われるには、私は未だ修行の途中でありますが、あなたがそのように感じられたとしたら、私を根本的に変えてくれた大きた原因は、次のような次第ですと戦争体験を交えながら語ってくれた。 Kさんは戦争中、学徒出身の将校の一人として、香港の俘虜収容所で英軍捕虜係として面倒を見ておったところ、昭和20年8月の終戦と同時に英軍捕虜は全員釈放され、代って日本軍が虜囚の憂き目を見る破目となり、Kさんも3ヶ年の禁固刑を受けて収容所生活を送る身となってつくづく運命の皮肉を嘆いた。 身も心も打ちひしがれたその時、釈放されたばかりの英軍将校の一人がKさんの独房の前に歩みよって、眼の前に古ぼけた一冊の本を差し出していわく、「私は英軍将校の一人として故郷のイングラソドから出征するに当って、敬愛する父が新しいカントの純粋理性批判の英訳本一冊と、ポケットオックスフォード辞書を背嚢の中に入れてくれた。以来戦陣の合間に寸暇を惜しんでたった一冊しか持たたい此の本を愛読して来たが、今再ぴ自由の身となって復員するに当って、収容所生活を含めて如何に此の一冊の本が、私を慰め励まし鍛えてくれたか計り知れないものがある。長い間の戦陣の汗と脂にまみれた此の一冊の本を、あなたに記念として差し上げますから、どうか厳しい3年間の収容所生活を意義あるものにして下さい」と激励の言葉と共に固い握手をして別れを告げて去った。 それから3ヶ年の間Kさんは、虜囚の身として他に何の慰めとなるものもない独房の中で、難解なのでは有名なカントの純粋理性批判と取組んで、ポケットオックスフォードの辞書を唯一の頼りに幾度となく読み返すうちに、難しいカントの大思想があたかも春の光を浴びて堅い氷が少しずつ溶けて行くように、一筋の流れとなって頭の中に流れ込みはじめた。 3ヶ年の歳月が流れて、漸く自由の身を取り戻して重い収容所の扉が開かれた時に、Kさんは肉体は虜囚の身であったが、本当に自分の心の窓を開いてくれたのは、此の一冊の本であったと悟って、感謝の気持ちに満ち満ちて故郷へ向かった。 大略以上のようなKさんの物語りに深い感動と教訓を覚えて、じっくりと深みのある本を精読することが、如何に人間形成に大きな影響力を持つかをつくづくと反省させられた。早速自分もカントの一冊から試みてみょうと取り組んで見たものの、まるでチンプンカンプン、やっぱり3ヶ年間位は収容所に入れて貰わないと、ものにならぬかと一先ず匙を投げた。 暫くするうちに岩波書店から、西田幾多郎全集が新たに出版されると聞き、よしそれでは私は一つ西田さんの本に集中して挑戦してみようと決心して早速購読を開始した。何分にもこれもガントに負けず劣らず難解中の難解な本で、ともすれば挫けそうになる心に鞭を打って、兎に角解っても解らなくとも立ち止まらずに、お坊さんがお経を読むように読んでいるうちに、だんだんと解って来るよと言う学友の言葉に励まされて、何とか10数巻を読み進むうちに、ほんのかすかにその思想の一端に触れたような、気持ち位はするようになったから不思議なものである。 予科一年時代、太田可夫先生の心理論理は第一回の講義から面喰うばかりであったが、多くの学友が、脇目もふらず積極的に古今の偉大な思想家の書に取り組んでいる真撃な姿を眼前にして心から尊敬の念を深くした。太平洋戦争勃発と同時に三ヶ月の繰り上げ卒業となって以来、あの戦中戦後の混乱期と躍進時代を通じて、十二月クラブの諸兄は揃って見事に難局を乗切って立派に成功されたがその背後にはこれらの先哲の教えが大きな支柱となっていたことを想い今更ながら一橋に学んだ有難さがしみじみと身に沁みて感じられる。 |
卒業25周年記念アルバムより |