公務員を退職して一時中小企業に務めましたが最近は家におり、無為徒食の日を送っております。 今まで無我無中で勤務先の仕事に追われてきましたが、閑になると何だか予科時代の気持に帰って行くような気がします。 あの美しい上水道の流れと緑の林や桜堤を散策して考えた事が再び頭に浮んできます。 私は病弱で長生きしそうにもありません。世の中の諸行無常の感に捉われています。これが宗教心の始りでょうか。
生死の問題を考えてもどうにもなりません。古来より幾多の人が考えて来た永遠の課題に取り組んでも、いくら観念的に悟っても死は免れません。生老病死の苦しみは避けることは出来ません。生死の問題を模索ても結論を得ず、又輪廻・転生の思想も信じられず、結局は生物学的な死生観に終わるのではないでしょう。 しかし、可見的、有限、人間的なものから不可見的、永遠、神的なものを求めるのは人間本能なのでしょうか。 このような事を考えても仕方がないと思っても考えざるを得ない日々を送っています。