1組  (野田 澄江)

 

 夏も終りに近づき浜風も秋らしく吹いて参りましたが、まだまだ残暑が厳しい毎日で御座います。
 御卒業四十周年記念お目出度う御座います。

 私共も皆様には一方ならぬお世話になり乍ら何の御返礼も出来ないまま、早くも主人逝って七年となってしまいました。去る七月には七回忌の法要を郷里伊東のお寺にて相済ませて参りました。お蔭様にて三人の子供達もそれぞれに成長致しまして、只今長男耕一は七月より世田ヶ谷区の三軒茶屋に住居を持ち、一男一女の父として四人家族で「東京標準テスト」に勤務、次男修二は聖蹟桜ヶ丘に住み、一女の父として三人家族で「朝日生命本杜」に勤務、三男祐三は私と共に焼津の地に移り、「石原水産KK」に勤務致して居ります。

 この様に三人共杜会人として歩み初めました事を故人に報告出来ました事も、みんな皆様方の力強いお力添えがあったればこそと心から深く感謝致して居ります。有難う御座いました。
 私は、子供達の手が離れ父の野辺の送りも終りました今は、三男祐三の世話をしながら故人も好きでよく楽しんで居りました、土いじりの草花を少々楽しんで居ります。特技もない私ですのでただ子供に迷惑をかけず健康でと思い乍ら、毎日を過して居る次第で御座います。
 この様な平凡な遺族では御座いますが、どうぞ今後共よろしく御指導の程御願い申し上げます。

 文集になどのせて頂く様な事柄でも文章でも御座いません。然しお世話になり乍ら何の御報告も致しません事は返って失礼かと存じまして何とか人並に生活をして行ける様になりました近況をお礼方々御安堵して頂きたく記させて頂きました。厚く御礼申し上げます。
 どうぞ皆様くれぐれも御健康には御留意なされまして一日でも御長命であられます事を遠き地より祈らせて頂きます。