1組 南 毅 |
故高木哲夫君のご葬送にあたり、謹んでご霊前に追悼の辞を捧げます。 高木君との出会いは、私が昭和十一年四月、一ッ橋に入学したときにはじまり、爾来、その交友は戦前、戦後を通じて絶えることなく続けられてまいりました。予科においては古きよき時代に寝食を共にしお互に友情を温めつつ人生、社会を論じ、学問の道にいそしんできました。君はつとに明晰な頭脳の持主としてその才角をあらわし、すぐれた理論を駆使した問題分析力は抜群なものでありました。学部に進んでは田中誠一教授の下に法学を専攻、ひたむきに勉学され、その迫力ある姿勢には圧倒されるばかりでした。明るく、ざっくばらんで生真面目な君の姿勢はその後も終生変ることなく堅持されました。 昭和十六年十二月、第二次大戦に参加するため第一回の繰り上げ卒業となり、翌十七年一月には海軍主計科士官として任用され、ミッドウェー海戦に参戦、その後三十二突撃隊主計長として終戦を迎えるまで激烈な軍務に服されました。私は大学、海軍を通じて多感な時代を君と共にしましたが、ひたむきな姿勢で一貫し、常に全力投球されている君を眼のあたりみて強い感動を覚えてまいりました。 住友銀行に復帰されてから、間もなく米国留学の途につかれ、帰国後再びハワイのCPBに出向されるなど、国際派金融人としての修練を積まれたあと、兵庫、美章園支店長を経て、東京外為事務部長、検査役の要職を歴任、銀行員として華々しい活躍をなされました。四十八年度はじめ住友銀行を勇退、日本ロッシュ株式会社に勤務されたあと、ごく最近にタカノ管理会社社長に就任されました。まことに戦後の高度成長の尖兵として獅子奮迅の働きを示してこられたのであります。しかるに、人の命運ほどわからぬものはなく、いつしか君の体は病魔の侵すところとたり、今日の悲しい別れとなってしまいました。君にとっても、いよいよ人生のひとふしを重ねようとされるところであり、本当に残念に思われてなりません。 高木君は生来、温厚、篤実の士であり、常に明るい雰囲気のうちに終始真面目な歩みを続けられ、凡ての友人に対して歯に衣を着せぬ清純な交わりをなされました。漂然と私の職場にあらわれて、「勉強しているな」と呼びかけ、訥々として自分の近況などを語ってくれた君の面影がいまなお瞼にうかんで感泣を禁じえません。また君は信念の士であり、私にとっては人生のよきアドバイザーでもありました。昭和三十五年春、私がはじめて海外出張の往路、ハワイに立寄り、当時CPBに勤務しておられた君を訪ねました。多忙な勤務時間をさいて種々私を遇し、はじめての外遊の旅愁を慰めようとされました。そのご懇情には感謝の言葉はありませんでした。その上、その折に君が切々として私に語ってくれた言葉、「これからは慎重かつ大胆にやれよ」の忠告は、私に新らしい目と勇気を与えてくれたものでした。これは君が滞米生活の経験などから得た私への忠言でもあるとともに、君自身の人生信条をあらわしたものに違いないと確信します。私はこの言葉に力づけられ、無事任務を果したうえ、その後もこれを君からの一生の贈物として活かして行くようにつとめてまいりました。まさしく、信念の士の、限りない友情の贈物というべきものであり、深甚な感謝とともに感涙にむせんでいる次第であります。 高木君、私はいま、君の遣影の前に立っていよいよ最後のお別れを告げんとしております。君との長い友誼を反翻し、すぐれて温かく、おだやかな一面、節度正しく、ひたむきな努力家であった君の思出を偲び、ただただ衷心より君の冥福を祈りたいと存じます。 どうか、君が愛して止まなかったご両親はじめ奥様、立派に成長されたご子息の方々、ならびにわれら一同をいつまでも見守っていて下さい。 昭和五十四年十一月十八日 |
卒業25周年記念アルバムより |