2組 冨安 直助 |
「これは名にし負う和田殿、よくよく大切の儀なればこそ、お使者の趣き逐一に、仰せつけ下されイ。」 此の地博多については、「芸どころ博多の旦那衆」と云う異名が東京や大阪のお座敷で言われているらしい。振り返ってみると、二十年位前までは銀行さんとのつき合いは必ずといっていいほど、いつも赤毛氈に坐って一節うたったり、うなったりの芸になやまされ、詮かたなく小生も当時、小唄師匠に弟子入りし、稽古にはげんだものだった。丁度その前後、昭和三十四年に福岡名士劇たるものがスタートし、本年で二十二回の歴史というか伝統として育ってきたが、これは財界人が各社一人づつ涙ぐましい出演をし、入場料から諸費用を差し引いた余剰分を恵まれない人々へ贈るチャリティショウとして定着したものである。 前おきはこの位でさておき、その出演配役(佐々木三郎兵衛盛綱)が、本年小生のところに回って来たわけで(,本番まで一か月足らずの苦しさは、聞くも涙、語るも涙の物語で、全てを書き綴ることは不可能だが、ご当人の小生、今にして思えば楽しい思い出であり、至難なる芸の道を痛感したしだいである。 余談はさておき、卒業四十年が走馬灯の如くに過ぎ去り、心は若いつもりでも身体は意の如くならず、老を感じる昨今であるが、戦中に一度は失いかけた命のこと故、あとは余命を後進のため尽くすことこそ互人の責務ではと肝に命じて頑張っていくつもりでいる。田舎も情報過多の時代で、九州にもだんだんと陽がさしつゝあるが、いつもながらこの地に一人いて、在京の諸兄には何から何までお世話をかけっばなしで申し訳ない。こうした小生を見捨てずに、今後とも連絡情報はいただきたいものだと願ってるしだいである。この四十年、戦時をのぞいて、エネルギー産業に身を投じてきたし、これからも微力ながら奉仕に生きるつもり。十二月クラブの諸兄とは離れっぱなしの小生だが、昨今の近況や心境をかきなぐりつゝ博多からの便りに代えたい。諸兄も元気で頑張って下さいネ。 |
卒業25周年記念アルバムより |