2組  佐藤 幸男

 

 一人の青年が学校を卒業して企業に就職するということはその人の一生にとって一つの重大な運命的な節であろう。戦前の学生の就職についてはその時の内外経済の好不況によってその深刻度に多少の差はあったとはいえ、意外に運命的に決められることが多かったような気がする。学校の教師のアドバイスとか、先輩がいるからとか、或は父親がやれといったからとかいうようにどちらかというと他人の意見によって何か運命の糸に結ばれたような形で就職するケースが多かったように思う。又戦前は財閥企業や独立系企業の他に商業、工業の中小企業への就職、或は親の仕事を引継いで自営業を営む、農業に従事するなど、学生本人や父兄が、夫々の学歴や能力、個性、家庭環境に応じて幅広く考えて行動して勤めたり浪人したりしていたように記憶している。
 ところが戦後日本的民主々義教育が普及し、経済面の高度成長により社会構造がそれに合うように改変され、一般に中流意識が社会に定着して来ると、学校の選定、就職に対する学生、父兄、教育関係者の考え方が大きく変って来たように思われる。最近では学生も教師も父兄もみんなが、企業側の学卒者に対する考え方、採用方針というものが学歴尊重主義、優の数最優先にでもなったかのように信じこんで、自己の能力、個性、家庭環境などを無視して猫も杓子も大学へ進学し、それも企業側があたかも指定校を作っているかのように思いこんで一部有名校に殺到するようになった。
 このようにして大学を卒業する学生は戦前の学生には殆んど見られなかった企業訪問を行い事前に初任給の一番高い会社、昇進、役員就任への速度、可能性が最もよいところを求めて就職し、戦前のようななかば運命的、宿命的なもので就職をきめるような雰囲気は余り見られなくなった。

 戦前の学生の考え方とこのような現在の学生のいき方とどちらがよいかについては双方一長一短あり、又現実にはそう白か黒かと峻別することはむづかしいことであろう。しかしここで言えることは戦前の方が新卒を受けいれる企業側の期待と、就職をしようとする学生側の気持との間に親近感があり、企業側が期待する素養、知識、精神力、体力といったものを学生は身につけていて、企業側と学生側の期待の間には余りかけ離れた違和感というものはなかったのではたかろうか。ところが最近の就職試験や企業訪問等の例を見ると、会社側と学生、産業界と教育社会との間に何か親近感がなく、教育界、学生側では企業が求めていない架空のこと、或はむしろ企業側の希望と反対のことを追い求めているように思えて仕方がないのである。今どこの企業が「自分の会社は学歴尊重主義であり、優の数が優先する」などという考え方や方針で新卒を採用しているところがあるであろうか。言う迄もなく答はノーである。勿論企業にとって一流大学を優秀な成績で卒業した学生は誠に結構ではあるが、問題は人間形成度、精神の充実度にある。特に八十年代以降の転換期をむかえる経済社会を荷なうべき青年には「強靱な精神力と活力を宿した自立心と連帯感の強い」人間であることが何よりも必要であろう。現在企業が求める人材は、活力があり好奇心が強く思いやりの気持をもった身体特に胃の丈夫な人物ということになろうか。このような素質をもった人物は頭脳明析であっても学校の点数かせぎは余り得意でなく、活力、好奇心、思いやりが深かければ、浪人、留年組に入るタイプかも知れたい。企業に入ってから役立つ人材はこのようなタイプの人物であるのに、社会ではあたかも企業が有名校出身の秀才を求めているかの様に受けとめられ、之に向って無用の競争をするのはどういうわけであろうか。

 第二次大戦前の日本は富国強兵を一つの座標として挙国一致の名のもとに突き進み八紘一宇の精神の世界的具現の為に支那、東南アを中心に最後は米英諸国にまで進攻せんとしたが、八紘一宇の精神は日本の独りよがりの理念であり、之を東南アや、いわんやキリスト教文化に根ざしている米英に一方的に押し付けようとしても所詮無理な話であった。之は現実性のとぼしい幻影であった。決して当時の日本をとりまく諸国が日本に期待したものではなく、日本のみが一方的に幻影としていだいた理念、思想であったのであろう。終戦後の日本は富国強兵の代りに豊かな社会、高度経済成長を国民全体の発展の座標としてきめて之にむかって官民一致して進んだ結果、一九七〇年代に至ってほぼその目的を達成するに至った。然し国や社会が或る目標に向って突き進む時、そこには幻影が生じ、ヒズミができることを歴史は我々に教えてくれた。高度成長の尖兵であり母体となったものは言うまでもなく企業である。企業は独善的となり、企業一家的となり、エコノミック・アニマルの汚名を受けた。日本の社会において企業の力が強くなればなる程、企業エゴイズム的風潮が強まり、企業をとりまく地域社会、教育社会、国際社会との正常なコミュニニケィションに欠けて来て結果的にお互にわけのわからない幻影にまどわされることになったのではないであろうか。企業側の期待する新卒者の資質と教育社会、家庭が期待する新卒者像との間にギャップ、乖離が生じて来たということはつまる処、企業が急激に成長、力を持った為企業エゴの現権と化し、そこに働く人々は企業一家精神に洗脳されて個人の目を失い、本来自分がよって生活している地域社会、家庭との正しいコミュニケーションに欠けて来た結果ではなかろうか。この企業一辺倒の考え方は学校を含む地域社会では教育面で思わざる幻影や、ヒズミを作ることになり、工場立地と地域社会の関連においては重大な公害責任問題を起こすことになる。又エコノミック・アニマルは国際経済社会において外国地域社会からの顰蹙をかい原料資源の大部分を輸入に仰ぐ日本としては資源確保の安全保障をおぴやかすことになる。

 戦後三十五年間の経済社会の座標であった「高度成長、豊かな社会の建設」はその歴史的使命を終ったものと言えよう。高度成長の旗頭をつとめた企業の「豊かな社会」達成への貢献度は顕著なものがあるといわねばならないが、同時に余りにも産業優先、企業意識一辺倒であった為に関連社会、地域社会とのコミュニーケィションに欠け、何か幻影に、おどらされたり、ヒヅミや誤解を与えたことを企業側としては謙虚に反省しなければならないであろう。そしてその反省の延長線上に企業と学校教育の在り方の問題も含めて二〇〇〇年に向っての新しい座標を求めて模索して行くことになるのではなかろうか。

 大学を卒業して四十年、戦争で一時中断したとはいえ企業に就職してから四十年、ほっとして歩んで来た道をかえり見る今日此頃ではある。

 


卒業25周年記念アルバムより