2組 新宮 徹也 |
趣味 あなたの趣味は何ですか、などと直線的に訊くひとは、さすがにいないが、名簿の原稿などに、「趣味」という空欄がよくある。一体、趣味とは何なのか。本業を別にして、その暇ができた時に何をやっているか、というようなことを聞いているらしいが、そう簡単には答えられない。そうであれば書かなければよいものを、多少悪いという気もあって、ある種の抵抗をかんじながら、つい「読書、ゴルフ」と書いてしまう。いかにも典型的なサラリーマンの答ではある。無論、皮肉、自嘲の意味を含めてではあるが。 趣味という場合、ひとによっては暇なときの軽い意味の時間つぶしというのもあれば、一日の大半をつぶしている仕事は食うために止むを得ずやっていることで、残りの僅かな時問を投じて打ち込んでいる所謂「趣味」が実は本当の生き甲斐なのだと考えているひともいるであろう。また会社勤めなどしていると、会社の日夜の業務そのものを恰も趣味道楽の如く嬉々としてやっていながら、それ以外の一寸変ったことになると、急に死んだように生気を失なうひともいて、現在の日本では、後者のような「会社人間」がやはり圧倒的に多いのだろう。こういうひとは却って仕事のやり方にも余裕がないものだが、案外出世するひとも多い。昔、アメリカの経営者セミナーで、カントやシェクスピァを読んでいるというのを聞いて、成程と思ったことがある。もっとも以前会社のなかに俳句に凝っているのがいて、これは仕事がさっばりできなかった。私も、軍隊時代の一時期、部隊長に強制されてやったことがあるのでよく分るが、俳句などは、朝から晩まで、行住坐臥、「ひとつ名句を」などという思いが頭の中にこびりついているものだから肝腎の仕事に対しては、気が乗らないのも無理はないのであろう。これなどは、一種のオチコボレというか、趣味が本業をおしのけている一例である。またよく、あなたは趣味と実益とが一致していて結構ですな、などと羨ましがられているひともいるが、本人にしてみれば、本業になってしまえばそれなりの苦労もあるだろうし、一概に姜ましがられる筋合いはないのかもしれない。 読書 読書が趣味とはいいながら、その内容はとなると、さほど簡単には答えられない。まづ、会社勤めの立場上必要なことを知るためにする読書は、仕事の一部ではあっても趣味ではない。また、人生とは何ぞや、などと探求するあまり読書に没頭しているのなども趣味としての読書ではないだろう。一体、趣味としての読書とはどういうものだろうか。それには、単なるエンターティンメントのものもあろうし、好奇心から発していろいろの知識情報や人生に関する知恵といったものを得ようとするものもあるだろう。 まづ自分のことを振り込ってみよう。私は子供のときから読書は好きであるが、その理由は、やはり好奇心が強いことと、それから現実の世界を離れて全然違った世界に遊ぶような気がしたことの二つが主だったと思う。小学校の時は、グリム童話集とか世界名作物語とかそういったものを除いて、割合に難かしい本に挑戦したのは五年の時に読んだ漱石の「猫」である。ルビを頼りに苦労して読み了えた。勿論その内容などを理解することはできなかったが、大体の雰囲気は何となく伝わり相当の感動を覚えた。大げさに言えば、わが読書人生の出発点だったと言えるだろう。あと中学校へ進んで、漱石、竜之介、直哉、有三、寅彦、鏡花、花袋、邦、などと乱読が続いてゆく。上の学校を受けるのに、最初、三高の理乙を志望していたのは、医者にでもなれば、鴎外、杢太郎、茂吉などのように、読んだり書いたりできる割合気楽な境遇が得られるだろうという極めて浅はかな期待感からであった。しかし、四年の正月休みに来た親戚のものが馬鹿に商大を勧めるので、ついその気になり、一度東京見物も悪くないと考えて、二二六の雪がまだ残っていた国立の試験を受けたのである。将来の予定は、当初と大幅に変ってしまったが、予科学部と進んでいった現実と、三高理乙、京大医学部へと進んだであろう場合とを比べてみて、少なくとも、当り構わずいろんな本を乱読できたことでは、心ならずも選んだ実際のコースの方が恵まれていたのではないか、と思う。私は幼にして父を亡くしていたため、母が何事につけ人一倍心配しており、またうるさい親戚も多かったので、京都にいたのでは余り勝手なことはできなかったと思う。その母も学部のときに逝ったが、そのような経緯があるので、今でも京大を中心とする人文科学の社ーーただの雑木林?ーーあるいは自分もそのなかに彷徨よいこんだかもしれないという感情もこめて、いろいろと郷愁をそそられることがある。 予科、学部と進むうちに、いわゆる学問をやっている部分、例えば、ドイツ観念論からイギリスの思想や経済学の勉強、などはともかくとして随分いろいろな本を読んだものと思う。その頃は外国のものが多くなっていた。ロシヤではトルストイが余り好きでなくてドストエフスキー、またドイツではトーマス・マンはよいのだが、ヘッセやゲーテはどうも、といった調子で、スタンダール、モーパッサンは随分読んだが当時余り人気のないイギリスの、ディケンズ、サッカレー、モームなどが好きであった。 また和歌への興味を起してくれたのは、山代とベクさんであり、その当時はよく読みもし作りもした。山代が兵隊に行く前は、一週間に二、三枚も葉書が来て大低、歌が添えてあるので、こちらも対抗上、返事の葉書に歌の一つも書いておかねばならなかったからだが、記録は今はきれいさっばり残っていない。(序に言えば、肝腎の歌心が残っているかどうか、これも疑問である。) 読書といえば、その頃の古本屋には探せばまだいろいろの本があった。卒論にしたヒューム関係の原書も大分集めたし、例えば、スティール、アディソンの「スペクテーター」の抄録本なども手に入った。しかし今でもクレージーだと思うのは、卒業する少し前に神田で、ハッチスンか何かの十八世紀の革表紙の立派な本を、大枚九十五円を投じて買ったことである。(百円の札がついていたのを何回か通ってやっと五円負けて貰ったのである。)先の生命が全く保証されていないあの時代にどうしてそういうことをしたのであろうか。この本だけは、さすがに村上一郎に頼み、より安全と思われる学校の研究室に保管を依頼して出征した。その后、誰かのお役に立っていれば幸いと思う。 満州へ経理部将校として赴任したが、仕事は暇で、万葉集などを繙く傍ら、少しは実証的な勉強をと思って満鉄調査月報も随分集めた。なかなか充実した調査、論文が戴っていたように思う。その揚句、興安嶺のなかで例のソ連の急襲に会い、部隊は殆ど全滅、僅かに残った兵隊を引きつれて這々の体で逃げた。もっともこれは、関東軍から「新京へ転進すべし」という命令があったから出来たことで、これで愈々にオダプツだと思ったことが途中十三回、「敵中横断三百里」で、ソ連軍の掠奪と強姦におびえている新京(長春)に着いたのは、もう秋風の吹き始めた九月半ばであった。最初連れていた兵隊三〇名は六名に減っていた。それから「地方人」として一年間暮している間、暇に任せて貸本屋から次から次へと小説本を借りて読んだ。読んだのは、英治、胡堂等のいわゆる大衆小説で目ぼしいものは殆ど読み尽くした。翌年の夏に博多に帰還してもとの会社に戻った。 戦后の会社生活の傍ら、荒んだ環境のなかで、焼酎など楽しみながらある程度纏めて読んだのは、本格推理小説である。日本のものも勿論あるが、英、米のものが面白く主体を占めた。そして翻訳されたものを読み尽くしたあとはぺーパーバックを漁るようになった。のちに海外へ出る機会を得るようになってから大分買い集めた。英語の勉強もあってのことであるが、割合すらすらと読み易いアガサ・クリスティーのことを植草甚一がある本で「あんな中学二・三年程度の英語」と書いているのを見てガッカリしたのを覚えている。(序でに恥を曝して言えば、昨年から始まった国立大学の共通一次の問題を、英語と国漢だけやって見たが、両方ともどうしても一八○点がとれない。二年ともそうである。他の学科や本番がちやんと出来なければ東大の理三(医学部)は難かしい。とも角、間違い易いような問題をうまく作っているものだと感心する。)本格推理といえば、ヴァン・ダインやエラリー・クィーンのものに比べて私は、稍、単純なクリスティーや、クロフツのもたもたした味が好きである。クリスティーも自伝を読むとなかなか気丈な女性のようだがこの二人が私にはどうもピッタリくる。かねてから、ドイッのように論理的で緻密なやり方を尊ぶところで、もっと「謎ときもの」がはやってもよさそうなものであるが、そうでもないのを不思議に思っている。ドイツ人はそのような子供だましの絵空事には興味がないというのかもしれないが、しかし他方で夢のような恋愛ものは随分出ているのもおかしいことである。本格物は殆どタネがつきたので、私のエンターテインメントとしてはその内にハードボイルドにも手を出そうと思っている。また、学生時代に西田幾多郎の著作集を殆ど揃え苦労して読んだ一時期があるが、戦后の乏しい時代に随分よい値段で売れたのには助かった。家の近くを毎日、うちわ太鼓を叩いて南無妙法蓮華経を声高に叫んで勤行している僧がいるが、それを聞いていると、つい西田哲学を思い出すというのは、いかなる心のいたづらなのであろうか。. 戦后の混乱期を終って会社の仕事は愈々忙しくなった。労働再生産のために必要な睡眠時間をまづ取って残り5の時間で山積する仕事をどう処理するか、とても出来そうもないので、若し自分がやらなければ会社の中で誰もその仕事をしないというもののなかから優先順位をつけて出来るだけの仕事をするようにした。従って毎日が仕事に追われっ放しでどうにもならない。また、営業をずっとやっていたので、毎晩のようにつまらない酒のつきあいが続くと、土旺日にはどっと虚脱感が押し寄せてきた。どうにもならないかんじであった。そういう時に、少し堅目の本を無理をして読んでいると、だんだんとそれが薄れ、ある種の充実感と日常心が戻ってくるような気がした。読書の効用の一つと思ったことである。 学生時代、高島教授はよく、シンフォニーを聞いて論文の構想組立てを練り、漫才を聞いて構想展開の手練手管を学ぶと言っておられてそのお相伴をしたことが何回かあるが、二、三年前、戦后始めて高円寺の「都丸書店」に立寄ったところ、高島教授の「マルクスとヴェーバー」があったので買って帰り早速一読、昔のシンフォニーと漫才の説を思い出して興味が深かった。 現在は目ぼしい本は直ぐ売切れになり再版されないことも多いので、発刊后直ぐに入手するようにしている。八重洲のブックセンターなどは便利である。また、いつも一○冊か二〇冊程のストックを持っていないと気持が落着かないので、買いおきをして戸棚にしまっておくが、いつだったか可成り部厚の「フランス病」という本を二回買ってしまったのには我ながらがっかりした。それからは、最近買った本、読んだ本のリストを作って携行するようにしている。年間大体一二〇−一三〇冊だろうか。定期刊行物は、「週刊朝日」「NEWSWEEK」「図書」「波」「本」だけ。あとは全然読まない。「世界」や「朝日ヂャーナル」はとっくの昔に、「文芸春秋」は数年前におさらばした。週刊朝日も昔に比べれば益々質が低下しているが、例えば、教授水田洋の二世未知が女性であることは我々には既知のことであるとして、詩人岸田衿子の二世未知は男性であるといったつまらない情報が分ったりして、少しは話題に役立つことがある。 二回読むつもりのない本は、ひとにあげるか、売るか、捨てるかして、狭いわが家の蔵書量を千数百冊に食いとめている。今見ていると一つの書棚の一角に次のような本が並んでいる。中野重治「甲乙丙丁」キングズレー・エイミス「酒について」中野好夫「酸っばい葡萄」角田忠信「日本人の脳」ガルブレイス「経済学、平和、人物論」ソルゼニーツィン「煉獄のなかで」丸山真男「戦中と戦后の間」田中美和太郎「古典学徒の信条」ライシャワー「ザ・ジャパニーズ」ガボール「成熟社会」小林秀雄「考えるヒント」加藤周一「日本文学史序説」小池滋「英国鉄道物語」ソール・ベロー「フンボルトの贈り物」。 ゴルフ ゴルフを始めたのは四十歳になる寸前だった。それまではテニス専門で、日頃溜ったアルコールを精々発散させるようにしていた。若いものに勧められたのだが、やるからにはある程度本格的にと思って、その頃会社のそばにあった「陳清水教室」へ通った。体型が陳清水と似ていたからでもある。何回か教えて貰ったあとで彼は、 仕事は相変らず忙しく、アルコールを抜くために毎日曜ゴルフに行った。まだ小さかった娘どもに、「お父さんは山へ芝刈りに、お母さんはおうちでお洗濯」などとひやかされたものである。しかし、自然のなかで一日を過して汗をかくと、身体にはもとより精神的にも得もいえぬ爽快感が与えられた。しかしゴルフに行くのは、恰度子供の頃、山の中に入って虫探しに夢中になり、また小川のなかで魚を取ったり、夕方トンボ釣りをして家に帰るのを忘れるといったことと同質の楽しみである。石ケリなどはある意味でもっと似ているかもしれない。ともかく男とは何と単純にできているものかと思う。 しかしゴルフをやって不愉快なこともよくある。エチケットを心得ないパートナーと一緒になった時である。私自身としては、あのひととならもう一度廻ってみたいと思われるようなゴルファーになりたいのが念願であるが、小人、なかなかその城には達せられそうにない。プレイの遅いひとと一緒になるとイライラしてどうしようもなくなり、やたらに辺りの景色を眺め廻したり、また煙草や紙屑の捨ててあるのを拾うといった具合で気持を紛らわせる。そんな調子だから到底一級のゴルファーの仲間入りはできないものとあきらめている。また営業ゴルフのコンペで一等から何十等迄ズラズラと賞品を出すのも不愉快なことの一つだ。他のひとたちもいるクラブハウスのなかで得々と優勝の弁など述べているのはどうにもやり切れない。(最近はどこでも別室が出来てこういうことはないようだが)どうして単なるスポーツでありながら、ゴルフだけこんなに賞品をつけるようになったのだろうか。高度成長の一遺産には違いない。(もっとも私自身随分その恩恵に浴した方ではあるが。)日本人は多少ダラダラとではあるが長時間勤勉に仕事に励み、また麻雀ゴルフとなるとそれ以上に熱心に打込むが、年がら年中こんなにワーカホリックでよいのだろうかと思う。何等かの意味で、いつかは反省期が来ることと思う。 ゴルフで私には少々面白い記録が一つある。伊豆.の方のゴルフ場(パー72)で、4と5が9つづつで一ラウンドしたことである。ショートホールのパーはない代りにロングホールのバーディーはあるというゴルフである。スコアーは従って(4+5)×9=81でそのコンペは優勝した。だがクラブのコンペの優勝は二〇年やって一〇回程度しかない。(ただ二回連続優勝はある)。 ゴルフで面白いのは、ラウンドしている時は、ここは以前にOBをしたところだとか、すぐ前にやったミスショットを思い出したりして、とかく悪い方を考えがちだが、一旦家へ帰って思い出すと、その日最高のショットとか、偶然にも旨く行ったリカバリーショットのことなど良いことばかりが頭に浮んできて、また行こうかという気になってくるから面白いものである。 以前ひとに聞いたことだが、ゴルフが病みつきになる例として、まともな人間で、一度ゴルフを覚えて身体も元気で暇もあり、且つ経済的にも恵まれていながらゴルフを止めた唯一の人は天皇陛下位だろうというのだが、いかにもそうかも知れないと思わせるものをもっている。グランドシニアーで活躍しているひとは、健康、暇、金に恵まれている証拠でまことに結構なことといわねばならないが、中高年層(あるいは熟年層)の日常の楽しみとして週一度のゴルフを挙げているひとが多いが、誰かも言っていたようにそれだけでは余りに貧相な晩年といえるかもしれない。 そのうちに、読書、ゴルフが趣味としてではなく、時間的には朝から晩までできる境遇になったとき、即ち「サンデー毎日」の時期を迎えたときにどうするのか。もっといろんなことをやって生活を豊かにしたいと思う。幸いに私は気が多いので、画もやってみたいし、まだ行ったことのない山野を歩いたり、観劇、美術鑑賞などやりたいことが一杯ある。それから今既にやっていることで、クラシック音楽を聞くこと。 音楽は一説によれば、脳の右半球(劣位脳)で聞くので、特に左半球(優位脳)を酷使している日本人にはかなり良い結果をもたらすのではないか。それが証拠に、音楽を聞きながら本を読むことは脳に少しも負担をかんじさせない。安部公房のいう「日本人の右半球閉塞症」克服にも役立つというものである。 娘二人が嫁いで、夫々二人づつの孫(男二、女二)をもうけた。即ち結果の数字は全く過不足がなく、フランスや中国のような人口問題を引き起す原因は作らないで済んでいるわけだ。従って今はともかく、妻と一緒に一応人生の一ラウンドを曲りなりに了えた解放感のようなものを味わっている。これからの一日一日もできるだけ充実したものにして暮してゆきたいものである。 追記 |
卒業25周年記念アルバムより |