2組 鈴木 実 |
生い立ち 東京都渋谷に生れる。すぐ大森に移る。爾来、小学、中学、大学、更に結婚して一家を構えるまで、三十有余年在住。父母は福島県の出身で、私は東京二世である。大森は震災、戦災にもあわず、大正末期のおもかげが未だ残っている。大森は私のふるさとである。 学生時代 ・・・・・・ 省略 戦中 大学卒業後直ちに兵役に服す。その最後はフィリピン山中にあり、文字通り九死に一生を得て終戦を迎える。二十一年八月、満山、蝉しぐれのなかに、波静かな長崎・大村港に復員する。祖国日本は山紫水明の処なるかなとの感を強くもった。時に二十六歳。杜会生活混乱の経済復興期のなか、政府金融機関に職を得る。爾来、金融業務の一端にたづさわり、ただ一筋に生きる。その間の思い出は多い。四十六年五月、縁あって新設のフジ、フュリー株式会社に移る。時に五十一歳。 会社生活 ・・・・・・ 省略 人生観 若い時の戦争の体験が強く影響している。人間は宗教、科学などすぐれた精神活動をもっているが、生物の一種である。生物はみな、それぞれの寿命をもっている。人間の寿命は約七十年。大体象などとおなじ程度であろう。生物はすべて自然淘汰のきびしい環境で、はげしい生存競争を営んでいる。生物たる人間も又その運命を免れることは出来ない。そうであるなら、仮命、能力は乏しくとも全力を尽して、与えられた環境を生き抜くほかに道はないと決意する。ゲーテの「日の要求を汝の義務として果せ」の一句が身に泌みる。 憩い 絵や、やきものなどを見ることも好きになったが、一番のいこいは本を読むことと、散歩すること。二つとも子供の時から好きであったし、又、六十歳を過ぎた現在でもそれは変らない。休日ともなれば、本を読み、武蔵野を歩き廻る。酒もいこいの一つ。結婚以来、良妻の供する手料理で、晩酌を欠かしたことはない。併し、何といっても、一男一女の生長が人生最大の楽しみである。 |
卒業25周年記念アルバムより |