2組  村上 正七

 

 早稲田の込み入った街から国分寺に移り住んだのは胸をやられたからであった。昭和十一年秋のことである。雑木林がはてしなくつづく其の一角に小さな家を建てたのは転地させる為に考えた末のことである。

 「むじなの出る様な処へ何故……」と人には聞かれたが此処で私は窓のすぐ近くの雑木林の四季を見て来た。秋の枯葉、冬の落葉の吹き溜りと日のぬくもり。其処に寝転び梢をすかして深い青空を見ながら清例な空気を吸い込むのは良い気分であった。春先の光っている梢、つヾく芽吹きと新緑、緑の濃すぎる夏の茂み、美しかった。又早春の黒土のにほいも始てかいだ。素晴らしかった。

 動いても、読んでも、話しても熱のあがる私はじっとして居るしか無く、休学してとり残されて行く焦りに苛まれたが雑木林に慰められたようだった。冬になって雑木林の夕焼が凄く美しい日が続いた頃、不思議に諦めともつかず気持は静まって行った。

 ある日林の中の踏みあとを辿って段丘をおりると泉が湧いて居て細いきれいな流れが美しい竹藪の中をさらさらと走って、いつか林の落葉を集めていた人が水を汲んでいた。飲み水にするのであろうか。雑木林と村人と泉のつながりの発見は楽しいことであった。

 春になって近くのうっ蒼とした森の中の古寺、国分寺の史跡をたづねた。茅葺屋根には草や小松が生えていたが石段(段丘)を降りると大きな礎石が宏く整然と並んで其の間に布目瓦の破片がざくざくあって古い時代の大伽藍をしのばせ、東の森のはずれには七重の塔の礎石があって規模の大きいのに圧倒された。そして辺りは一面の麦畑、雲雀が高く囀って居た。自然と人間とのかかわり、その歴史まで見ることが出来た。

 然し雑木林や泉はもっともっと面白かった。ある時家の猫が尾長のひなをつれて来た。生ぶ毛でピーピー鳴いている。どうやって四羽も運んだのか誰も知らない。其の時林が騒しくなった。羽ばたきと鳴声である。出て見ると猫が五羽をつれに行ったのか木登り中を尾長の群に攻撃され動けなかった。尾長は四方から次々と低空飛行でわめきながら襲っている。素晴らしい光景であったが猫の心理は今以ってわからない。ひなは育てられなかった。あわれであった。

 初夏に郭公が鳴いた。夏には大きな泉を見つけた。その水は田に引かれ、その流れで鮒が釣れた。そして夜には螢の灯が無数に飛び交って息を呑む思いがした。

 再ぴ秋になって二学期から新しいクラスに入れてもらった。校庭から続いている広い雑木林の中の流れに沿った細道は以前にも増して美しいものに思われた。畑の藁束も又冬の梢をすかして見る暖かそうな雲も、よりみづみづしく見えて来た。そして一人で、友人と、友人達とよく歩いた。

 今にして思えば、みづみづしく新鮮に受け止め、心を養う切掛を作ってくれた病に感謝したい気がする。然し悲しいことは昔の新鮮さにはなかなか会えないのである。カサカサに乾いているのである。又感性の衰えとも思い度くないのであるが。