2組  山崎  昶

 

 一橋を卒業して四十年、それは私にとって遠い昔のように思われると同時に、それは末だ昨日のように身近に思えてならたい。

 四十年過ぎた現在においても、私の心のうちに、あの楽しかった小平、実り多き寮生活、国立に移ってからのまた一味ちがった学部の三年間、それぞれが映画のフィルムの一コマ、一コマのように鮮明に記憶の中に甦ってくるからである。

 人間の誰しもが、その人間形成の上で最も重要な役割を占める青春の時代に、私は一橋ならではの生活の中で、よき師、よき友にめぐまれた環境のうちに育まれた自分をこの上なく幸せに思う。

 卒業して後、戦争、結婚、戦後、四十年にわたる会杜生活等さまざまな人生経験を経たが、私の心に片時も離れなかった一橋時代の追憶は、常に私の心の支えであり、私を導いてくれた心の燈火であった。それは単に過ぎし「古きよき時代」への回顧ということではなく常に私をはげまし、暖く迎えてくれる"心の故郷"でもあった。
 今後も、私の生活をとおしてこのような思いは変らないと思うし、変えたくもない。

 このような私にとって「十二月クラブ」は私と"心の故郷"を結ぶ重要な架け橋であり、今後も、現在元気で活躍しておられる十二月クラブの諸兄との交りをなお一層大切にしてゆきたいと思う。

 それにつけても、私の一橋生活において忘れることのできない今は亡き太田可夫先生、畏友疋田博次君(大東亜戦争で戦死)に対し、改めて心からの御冥福を祈りたいと思う。