3組  川口 憲郎

 

 十二月クラブの会員名簿には、氏名、生年月日、ゼミ、出身中学校の下に、趣味の欄がある。家族欄と共に、世の中の一般的名簿には、あまり見かけない面白いアイディアである。名簿の頁を繰りながら、あの男が、こんな趣味を持っていたのかと意外に感じたり、あの男の取り組みそうな趣味だわいと、感心したりする。

 暇にまかせて、名簿の趣味を分類、アカウントして見た。趣味欄に記載のない人、一人で四、五種類の趣味を記載している人などがあるが、一種類一点として数えて見ると、ゴルフが断トツで約百名の会員が、これを挙げている。三十名以上の人が書いているのが囲碁と読書。これに続く二十名前後というのが旅行、麻雀、音楽、園芸等である。逆に少数派として珍らしい趣味では、古地図、昆虫飼育、催眠法などというものもある。

 ところで、私の趣味は、昔は釣と尺八と書き、事実かなり熱心にやっていたものであるが、いずれも実技は二十年近く休んでおり、時々話題として利用するに過ぎない。

 ここ十年以上熱心なのが「植物観賞」と称する趣味である。「植物」という語も「観賞」という語も、ごく普通の言葉であるが、「植物観賞」などという熟語は、あまり使われていないようである。植物に関する趣味と云えば、普通は「園芸」「盆裁」「庭いじり」「家庭菜園」などと云い、いづれも草花、樹木、野菜などの植物を作って楽しむ、云わば創造の楽しみである。美しい花、良い技振りの木、立派な野菜などを作り出すには、色々と研究努力を要するものである。土、肥料、日照、温度、剪定、水やり、植かえ等々多くの注意が必要である。これに対し「植物観賞」と称するのは、ただ見て楽しむことが主である。うちのカミさんは、小さな庭に種を蒔いたり、苗を植えたり、あるいは鉢物を並べたりして、色々な植物を育てており、私も休日など植かえ、水やり、駆虫剤散布など手伝わされることがあるが、元来無精で、頼まれればやるが、自主的には動かず、計画もしない。しかし私は植物を見ることは大好きである。わが家の庭にあるものに限らない。道端にあろうと、他人の庭にあろうと、何処にあろうと、植物を眺めることは楽しい。

 ところで趣味というと「好きこそ、ものの上手なれ」的要素のあるものである。「下手の横好き」もないわけではないが、そこに何か熱中、努力、研究的要素があるものである。ゴルフ愛好者同士の話を聞いていると、いつも研究、工夫、努力等が語られ、その成果が論じられていることが多い。囲碁、将棋等は努力の積み重ねなしには強くなれないし、昔、私がやっていた釣なども、上手と下手では釣果に格段の差が出る。また尺八では「首振り三年」などと云って、精進努力が求められた。

 「観賞」ならぬ「鑑賞」という字の付く趣味に「音楽鑑賞」とか「絵画鑑賞」「映画鑑賞」などと称し、聞いたり、見たりする楽しみもあるが、これにも努力研究の要素がある。辞書によれば「観賞」とは「みて楽しむこと」とあり、「鑑賞」とは「芸術作品を理解し、味わうこと」と書いてあり、対象が芸術作品であり、芸術性を感じ取るための研究努力なしには、この道に入れないものであろう。ところが「植物観賞」の対象は、植物と云う自然のものであり、これを見て楽しむのに何の努力研究もいらない。冨士山を眺め美しいと思い、都会の夜空を彩るネオンに美を認め、擦れ違う美女に目を見張るのと変りない。そんな「植物観賞」に多少努力的要素があるとすれば、植物のあるところに足を運ぶことと、植物の名前を覚えることである。名前を覚えないと、ただ「白い花が咲いていた」などということになり、植物に関する記憶の整理が出来ず、記録することも出来ない。そこで植物名を知るために買集めた本もかなりある。しかし、それは学術的な本ではなく、大衆向の植物写真集や植物に関する文庫本などである。

 私は毎日植物を眺めて楽しんでいる。朝起きると急がしく出勤の身仕度をしながら、庭の樹や花、室内の植木鉢に眼をやる。家を出て駅までの間に「○○さんの家の紅梅が咲きはじめたな」とか「××さんの柊(ヒイラギ)が白い花をつけたな」などと見ながら歩いている。又、花屋の店先を通れば、「今売っているのは、何と何が多いな」と観察したり、植木市などでは、わからない樹があったりすると、そっと名札を見たり、売っている人に尋ねたりする。珍らしいもので安いものがあれば、買ってきたりする。この程度の植物好きは世の中に随分多いと思う。

 以前、勤務の関係で、毎日朝夕、日比谷公園を横断することがあったが、四季折々の樹々の変化を見ることは、まことに楽しかった。プラタナスは街路樹に多いが、それより遙かに大きく成長したものが何本かあって、秋に葉が落ちると、ゴルフボール位の褐色の実が沢山ぶら下っており、それで別名「すずかけの木」とも云うことが理解できた。また「くすの木」の大木が沢山あるが、新緑の頃、新しい葉が追い落すように、古い葉が一斉に落ちる様子が、ほかの樹と違っているように感じた。勿論、梅も桜も花時はもとより、新緑、秋の落葉前と、それぞれ眼を楽しませてくれた。最近は日比谷公園を通ることは少く、時々あの木が花をつける頃だがなどと、わざわざ見にゆくこともある。

 「植木いじり」を始めると年老いた証拠であるなどと云われる。人間的なもの、動物的なものを愛するのが若さの現れと云うのであろう。たしかに老眼鏡を掛けて、盆裁などにチョキンチョキンとハサミを入れている姿など老人にふさわしい図であろう。

 私の場合も植物への関心が深くなったのは、五十歳頃からである。そのきっかけとなったのは「植物同好会」なるものに入会したことによる。また入会の機縁となった人との出合いも不図したことであった。

 十数年前のある日、わが家の小屋根の修理か何かで、ブリキ屋の親方が来た。庭に色々な草花や木が植えてあるのを見て「植物が好きなら、一度参加して見ませんか」と植物の同好会を紹介してくれた。彼は人柄の良い職人で、植物の会のほか、考古学の会にも入っており、また職能的技術を生かして、銅板で五重の塔の模型を制作したりする多趣味の人であった。その後しばらく植物の会で一緒になったが、中気になったため、会えなくなってしまった。

 その植物の会は「牧野植物同好会」と云い、有名な植物学者で高齢で亡くなられた牧野富太郎先生のお弟子さんが主催する会だが、むづかしい会でなく、庶民が野や山の草木に親しむ会とでも云うか、中高年者が多く、しかも七割方が女性で、皆植物好きの人々の集りである。

 入会後はじめて月例会に参加したのが、十二年前の早春二月の日曜日で、場所は千葉県のマザー牧場であった。私達夫婦は普通の服装で出掛けたが、数十名の参加者の殆どがハイキングや登山の服装をしているのに驚き、やがて講師の先生や先輩のあとについて歩き出したが、皆地面を見つめながら、まるで落し物でも探すような歩き方をするので、また驚いてしまった。良く見ると、少し芽を出したもの、やっと二、三枚の葉を拡げたものなどがあり、先生が名前と特徴などを説明してくれた。早春の植物の見方を知った次第である。この時、小さな灌木で「やぶこうじ」というのを教わったが、その時は珍らしいものと思ったのに、その後あちらこちらと行って見ると、それほど珍らしいものでなく、野山に良く見かける植物であることがわかった。ところで植物の名前を一度や二度聞いただけでは、すぐ忘れてしまうことが多い。先生に何度も尋ねたり、写真集と照らし合せたりして、少しづつ名前のわかる植物がふえてゆくものである。

 さて、その年の六月、一泊で日光白根山にシラネアオイを見に行くという案内状が来た。たにぶん二五〇〇米を超える山と聞いて、力ミさんは勿論、私も学生時代以外、山など登ったことがないので、参加に迷ったが、かのブリキ屋の親方のほか先輩会員より、花の素晴らしさを聞かされ、事前に山歩きの練習をして参加する決意をした。

 そこでまず夫婦とも山の服装、登山靴、ザック、水筒その他小道具一式を買いととのえた。次に夫婦で協議の上、トレーニング場所として、子供の頃遠足などで行ったことのある高尾山を選び、ケーブルカーを使わず、歩いて登り降りすることとした。標高六〇〇米ほどの山であるが、馴れないため登りは息が苦しく、降りは足が痛み、高尾山口駅に帰りついたときには二人とも疲れ切っていた。

 このトレーニングのお蔭で、日光白根山も、どうにか登ることが出来、梅雨曇りの中、頂上近くの弥陀ヶ池周辺のシラネアオイ群落の自生地に到着、直径八センチ位の薄紫の大きな花が一杯咲いているのを見たとき、しばし感嘆の溜め息をつき、吾を忘れるほどであった。何枚かの写真を撮ったが、あの色が忠実に出せないのは残念である。シラネアオイのほかにもハクサツチドリ、イワカガミ、サンカヨウなど、はじめて見るものが多く、この時以来、山野草の自然の姿に深い愛着を持つようになった。

 このようにして、真夏と真冬を除いて毎月一回の植物同好会に参加して、植物を観察し少しづつ植物の名前と存在場所とを覚えてきた。そしてこの会に限らず、世の中には植物の知識の豊富な先輩が沢山いることもわかってきた。

 月例会の場所は、東京都下、埼玉、千葉、茨城などの山野で、日帰りが殆どだが、一泊で奥日光や信州まで行くこともある。

 植物同好会に入って一年ほど経った頃、中学のクラス会があり、近況報告として「植物観賞」の話をしたところ、小さなハイキングクラブを主催している開業医の友人に入会をすすめられた。山歩きもさることながら、植物を見る機会が多くなると考え、夫婦で入会した。それからは毎月二つの会の月例会の案内が来るようになり、毎回参加というわけにはゆかないが、色々なところを歩き、植物のレパートリーも広くなってきた。また会とは別に夫婦だけで野山に出かけることも多くなった。高山と云われるものでは白馬岳、常念岳、大天井岳、木曾の御岳山、木曾駒ケ岳、立山連峰の浄土山や奥大日岳など登ったが、最近は道路やリフトたどのお蔭で行けるようになった。もっとも便利になるだけ自然破壊も進むのは残念である。

 四十八年から五十二年にかけて、足かけ五年福島県の阿武隅山系中の小さな町にある会社に勤務し、単身赴任だったので、休日には一人で附近の丘陵や山を歩き廻った。比較的高い山だが、タクシー利用で日帰り出来るところから、高村光太郎の智恵子抄で知られる安達太良山には四回登った。

 高山植物は、たしかに美しいが、植物は高山のものに限らず、低山でも、東京附近の野原にあるものでも十分楽しめるものである。阿武隅山系中の低い山や丘陵で、東京附近では見られなかった蘭科のオニノヤガラやコケイラン、テイカカズラの美しい花、葉緑素がなく別名ユウレイタケと呼ばれるギンリヨウソウ等面白いものを見ることができた。

 今迄に印象に残る植物と云えば、先に触れたシラネアオイのほか、奥日光、信州等の各種つつじ、特に、ミツバツツジ、ヤシオツツジ、レンゲツツジなど。ニッコウキスゲやシャクナゲ。高山植物の色々、たかでもチングルマ、ハクサンイチゲ、シナノキンバイ、ハクサンコザクラなどの大群落ーーいわゆるお花畑。また早春、秩父や奥多摩の低山で黄色の花をつけるマンサク、アブラチャン、キブシなど。東北には多かったが、奥多摩でも見られ、愛好家の多いカタクリの群落。秋の高原に咲くマツムシソウやヤナギラン等々。どうも書いているとキリがない。

 ところで年齢を加えるに従い、山を登り降りするのも辛くなってくる。案内書の所要時間の倍以上もかかったりする。無理をすると、あとの疲れが大きい。今後植物を求めて歩き廻る場所も、おのずから制限されてくるであろう。

 しかし先にも一寸書いたが、私は通勤途上の植物の移りかわりを見るのも楽しい。自宅から駅まで歩いて五分位の道のりだが、あそこの家、こちらの家、それにわが家を含めてキンモクセイの樹が十本ある。秋晴れのある朝、金色と見まごう黄色の小花を一杯につけ、独特の良い香りが漂ってくる。夜暗くなって帰って来ても香りでわかる。全く楽しいものである。

 やがて会社づとめも終了し、毎日が日曜日となったら、家の附近の散歩コースを幾つか作り、どこに何の木があり、いつごろ、どの家で、どんな花が咲くかを調べて見よう。また、狭いわが家の庭に、百数十種ある植物の手入れも、今迄よりは身を入れてやろう。
 そうなると、私の趣味も、ただ見るだけの「植物観賞」などと称するわけにゆかず、努力工夫を伴う「園芸」とか「庭いじり」とか世間一般の植物趣味の表現に従わざるを得なくなるであろう。

 

卒業25周年記念アルバムより