3組  田中 林蔵

 

 戦後旧三菱商事に戻ってサラリーマン生活に入って以来既に三十六年、そろそろその終点に近づきつつある訳だが、その間に、東京で生れ学校も軍隊も東京で過した私が、羅府、紐育、ロンドン、ブラッセル、名古屋と移り住んで、夫々の土地で経験したことは誠に感慨深いものがある。中でも紐育とロンドンでの経験には色々と考えさせられるものが多い。

 戦後の食うや食わずの生活からようやく脱却したばかりの昭和三十年に、羅府駐在六ヶ月そこそこで突然紐育に転勤になり、マンハッタンの摩天楼を見た時は文字通り度肚を抜かれた。紐育での日々は見るもの聞くもの総てが驚きであり、日本と米国の経済の規模とレベルの格差の大きいのを改めて痛感した次第である。

 当時私は米国向の玩具其の他の雑貨の輸出を担当していたのだが、自分達が色々と苦労して輸出したおもちゃがテンセントストアの片隅で山積になって売られている姿を見た時は何ともやり切れない思いがした。このような状態だったので当時私達は、日本経済が今日の姿にまで発展しようとは夢想だにしなかった。

 このように日本経済が繁栄した原因については、一般には日本人は勤勉だからだとか、日本の教育レペルの高さによるとか言われているが、私のように永年第一線で売子をやって来た者からすると、それ丈の説明ではどうも納得し切れないものがある。

 私の実感からすると、日本経済を今日の繁栄に駆りたてたものは、日本人乃至日本企業のハングリーさにあり、そのハングリーな日本企業を利用して日本製品の米国市場への喰い込みの先導役を勤めたのが、米国のユダヤ人であると言う風に言った方が分り易い。米国向の輸出を手掛けた者で、ユダヤ人との係わり合いを持たなかった者は恐らくないであろうと言える程、良し悪しは別として、彼等の存在は大きいものであったと思う。彼等はハングリーな日本企業の尻を叩き、苛酷な要求を押しつけ、一方日本企業はそのような無茶な要求に応え、それに耐えて徐々に実力をつけ、たくましさを加えて来たと言うのが実情ではなかったかと思う。

 今や日本も経済指標で見る限りは堂々たる経済大国になり、国民の生活水準も欧米並と言われるまでになり、一見日本人乃至日本企業のハングリーさは解消されたかに見えるが、日本企業の輸出活力の源泉、従って日本経済を支えているものが、ハングリーさにあると言う点では、ニュアンスの違いこそあれ、今も昔と変りはない。

 無資源国たる日本が生きて行く為にはどうしても或る程度の輸出をして行かねばならぬ訳だが、輸出をする為には国内需要を上廻る生産即ち余剰生産がある、ことが不可欠なことである。言い換えれば、日本の経済が成り立つ為には先づそこに余剰な生産があり、その為に同内で熾烈な競争が行われ、次にその余剰分を輸出する為に海外マーケットで更に熾烈た競争が日本企業間で、又地場企業との間で、更に時には第三国企業との間で行われる。日本の企業がそのような苛酷な条件に耐え、それを乗り越えるべく日夜苦労を続けるのは、唯々生き残りたいが為であり、それは矢張りハングリーの延長線上にあるものであろうかと思う。そしてそのような姿は日本人乃至日本企業が背負わされた宿命とも言うべきものであろう。

 処が、昭和五十年から三年半に亘るロンドン生活では、このような世界とは全く別のものを見出した思いがした。
 ヨーロヅパは万事コンサバティブだとは予々聞いてはいたが、矢張り現地に住んで見るまでは実感が湧かなかった。よく言われるように、英国人の生活態度は誠に質素なものであり、私達の子供の頃のそれを思い起させるものがある。ヨーロッパではタクシーの運転手でもスペイン辺りの海岸でホリデイを楽しむと聞いた時は、彼等にも贅沢な面があるのかと思ったが、よく話を聞いて見ると、彼等のホリデイは丁度日本の農村の人達が冬の農閑期に湯治に行くような形で、飛行機はパックを利用し、現地では自炊をすると言う具合で中味は誠に質素なものである。ゴルフにしても、米国に於けるように電気力ートに乗ってプレイする姿は全く見られず、老夫婦が五本から精々八本位のクラブを入れたバッグを肩に悠々とプレイしているのを見ると、これこそ本来のゴルフであろうかと感ぜられた。

 英国は経済指標で見る限り全くの破産国であると言われ乍ら、そこに貧困感はなく、又英国人の生活は質素ではあるが、そこにハングリーさは感じられない。このような国、社会、そして生活は、社会資本の永年に亘る蓄積あればこそと思う訳だが、それにしても彼等の生活態度はつけ焼刃でも、まやかしでもなく、地についた本物と思われる丈に、一寸やそっとで崩れることなくその儘の姿で続くであろうと思われる。私はこのような英国人の生活態度に郷愁のようなものを感じ、われわれの生活にもう一度取り返したいと思わないでもないが、最近の日本の経済の実情はとてもそれどころではないと、思わずしんみりさせられる今日この頃である。