3組  戸辺 勝利

 

 十二月クラブの有志による第一回海外旅行が一九七七年七月二十日から三十日まで田中仁栄君などの肝入りで実現した。大阪在勤時代で多忙な毎日だったが、幸いにも家内と共に参加することが出来て生涯に楽しい想い出が増えたので、折角の四十周年記念文集に投稿することにした。実はこの旅行の直後同行者の旅行感想文が集録され小冊子となっているのだが、それからの転載という形であることをお断りしておきたい。

 このカナダ旅行は家内と初めての海外旅行でもあったし、一と口に言って素晴らしかったの一語に尽きる。バンクーバーの都市美、グラウスマウンテンからの俯瞰夜景、空気清澄のせいか街の灯が美しく鮮明だった。オンタリオ州都トロントの街並も美しかった。モザイク文化と言われるが、この地方都市にはそこに住む人々の生国固有の伝統が滲み出ていて建物家並に特徴があって興味深かった。

 カナダ観光の大きな目玉は何と言っても雄大な景観、特にロッキーとナイヤガラに絞られるのだろうが、確かに東西両横綱格にふさわしいものだ。ロッキーの静とナイヤガラの動、共に素晴らしい。
 針葉樹林の深い緑を基調にして真夏の陽光に映える残雪、氷河の眩ゆい純白、褐色の荒々しい岩壁、紺碧の空、そして随所に鎮められた瑠璃色の大小の湖。これらを縫って走るハイウェイや、そこに怖れ気もなく遊びに出てくる鹿や山羊など、今回は幸運にも熊まで出迎えてくれたが、次から次へと繰り広げられる男性的な山々の様々な形、本当に数時間のバス観光にひとつも飽きない。言葉通り雄大壮観、大自然の偉大さを痛い程感じさせてくれたロッキーの印象である。

 ナイヤガラは十一年振り、二度目なので懐かしさもあったが、初回の時と殆んど変らない感興を覚えた。視る者の心の在り方で対象がその都度違って見えるものだが、造化の神の傑作は視る度に常に新鮮さを感じさせるのだろうか。恰も『真理は古くして恒に新らしい』のと同じように。

 兎に角今度の旅は企画が良かった。好天気続きに恵まれた。仲間達が気兼ねのいらぬ学友とそのベターハーフ、そしてその縁者達だった。その上現地世話役の学友が旧友を迎える温かい友情と細かな心遣いに溢れていた。これだけ条件が揃っていて悪かろう筈がない。
 本当に楽しい旅だった。良き友人に恵まれた幸せを泌々と味わったのは私独りではあるまいと思う。良き哉友、良き哉カナダ。十二月クラブ万歳を叫びたい。
 さて総論はこれくらいにして二、三各論めいたトピックを綴ってみよう。

 その一、ロッキーヘの夜行列車

 バンクーバーからカナダ国鉄特急寝台がわれらの夢を乗せて高原を走っていた。一と寝入りしてフト目が醒めた。十二時半だ。出発時に羽田で仕込んだジョニ黒を取り出し列車の冷水と紙コップに注ぎ込んで独りで即席水割をチビチビやっていると隣の寝台から大野君が降りて来た。生理のためだったが、嫌いな筈はないと相手欲しさに引摺り込んで、彼の東京仕込みのおかきを肴に腰を据えて飲みはじめた。列車は折から山合いの川に沿って走っていたが、豊かな流れは波頭に半月を弾くように輝きながら車窓に耀くようだった。旅先の興奮とロマンチックな光景に懐旧談に花が咲き酒は益々美味しくなる。われらのミセス達は隣のシートの力ーテン内で眠っているのか静かである。次第に風景が白んで来た。川の向うは樹木も少い淡褐色の蓼々たる山波に変っていた。処々に岩肌が露出している光景は、今にもインディアンが狼火を打上げ喊声をあげ馬蹄を響かせて押しよせて来るのではないかとさえ想われるようなものだった。

 今度は新坂君がおめざめだ。これも呼び込んで又々興が沸いてくる。彼は性来酒はやらない口だったがそれでも一杯付合ってくれた。七時の朝食まで逐に飲み明かしてしまった。ボトルの底には僅かに琥珀色の液体が乾き切れずにいる残り水のように形ばかり残っていた。多くの観光客が眠り通して知らずに過ぎてしまうロッキーへの道程に、こんな捨て難い景色があったことは大きな喜びの一つである。連想の世界に身を置ける気安さとでも言おうか。

 その二、バンフのゴルフ

 予期せぬレーク、ルイーズのホテルのキャンセルでバンフに泊ることになったためのフロクだが、小林君の尽力で同君夫妻、樽夫妻、二見君と私の六人でプレーした。早朝六時前のスタート、貸クラブ、貸靴だったが、朝露を踏んで渓流越えのショットで始まり、力ートで追うといったスピーディなゴルフだったが、ロッキーの懐に抱かれた清流を跨ぎ、清流に沿う針葉樹林を分けてのコースは素適だった。プレイ記念に大鹿のデザインされた珍らしい帽章付きのキャップを土産にお城のようなスプリングスホテルに入ったのは十時少し前だった。旅先の急ぎゴルフとは言え気宇広大になった事は間違いない。

 その三、キャルガリーからトロントヘの機中

 ノースモーキソグのランプサインが消えたのでパイプ煙草に火をつけた。途端に「ノースモーキソグ」と女性の声がかかる。慌てて火を消したが納得出来ずに周囲を見回すと、叱陀した女性は通路を距てた同列のカナダ人の様だ。スチュワードが通りかかったので、サインに不拘オルウェイズ・ノースモーキングかと尋ねたら、ここはノースモーキソグ・セクショソだと言う。成る程よく見ると禁煙のステッカーが頭上に貼ってあった。無知よりも気付かなかった自分が恥かしかった。以後シートはスモーキングフリーを貰うようにした次第である。

 その四、ショッピング

 私のミセスはその昔女学校で英語を学んだ筈だが既に記憶の外に置いてしまったようだ。それでも数だけは憶えているらしい。買物に一緒について行ったが、すべて日本語とゼスチュアで押し通している。黙ってみていると相手は商売だから一生懸命に理解しようとして種々応待を繰返す。そのうちに相互の一致点が見付かる。そこで目的が果せるわけだ。値段を言われると値札のあるものについては見届けて納得する。確かに数を表す英語だけは憶えていることが判ったわけ。生半可な英語なんか喋らない方が無難かも知れぬと自からも半ば反省させられたものである。この旅行のあと半年を出でずして新坂君の急逝に遭った。十日間の愉しい旅の想い出と共に今も尚彼の面影が私の胸中に活きている。

 


卒業25周年記念アルバムより