3組  野口 光明

 

 今年のゴールデンウィークの前日の夕刻、わたしは東京駅から新幹線に乗りこんだ。西宮にとついでいる次女の家に泊って、神戸のポートピアを見物し、かたがた、三歳と二歳の男の孫たちに会うためである。家内はその日の朝、見ておきたい京都の寺があるといって先発、わたしは勤めの都合で、夕方の新幹線の一人旅と相成ったのである。出発まぎわ、窓ぎわに坐っていたわたしの右隣りの席に一人の女性がとびこんできた。席につく前に、一寸わたしに目礼して、小声で、失礼します、と言ったようである。青いジーパンにスニーカーという軽装で、眼鏡をかけた横顔から年のころを推しはかると、二十歳前後と思われる。ロ紅をつけず、まったくお白粉気のなさそうな顔から、わたしは女子学生かな、と推測した。列車がネオンの東京の街をぬける頃、買いこんだ汽車弁を食べおわり、お茶を飲み終え、文庫本の城山三郎を読み出したが、一気に読みふける程の面白さでもない。そろそろ退屈気味で、それとなくお隣りの席を観察する。彼女は大きな英字新聞をひろげている。ぺージの上部には、ニューヨークタイムズと、例の独特な書体で英字が印刷されている。おや、大したものだな、とひそかに観察をすすめていると、その中の記事をたんねんに読みふけるようでもない。ニュース欄にしばらく目をあてていたかと思うと、別のぺージをめくって解説欄らしいところを読んでいる。そして間もなく、クロスワードパスルをながめ出している。読んで本当にわかるのかな、とも思うし、いやまてよ、米国に長く暮して、英語を読むのは日常茶飯事なのかも、と想像したりする。

 名古屋までの二時間は、そのままで過ぎた。名古屋駅を出て間もなく彼女は『失礼してよいですか』と、窓ぎわのわたしの席の前にある小さな台に、小さなビンを置いた。『どうぞ』と答えて見ていると、そのビンの透明な液体のなかに、ピンセットにはさんだものを入れた。
 『何ですか、それは?』と聞くと、6『コンタクト・レンズを洗うんです』と言う。ここからふたりの会話が始まった。
 『失礼ですが、二.ユーヨーク・タイムズを毎旧読むんですか?』
 『いいえ、これは毎週、朝日新聞代理店で買う日本版です。学校の教材で、日常生活の中でいつも英文にふれるようにと、云われているんです。』
 『学校はどちら?』
 『津田塾大学です』
 『津田というと、あの、小平にある?』
 『そうです。いま寮に入っているんです』
 このへんから、会話が急に活気づいた。わたしが若いころ、当時東京商大予科の小平寮に居たことを告げたからである。
 『四〇年以上前の小平は、今のような住宅地でなく、雑木林や畑ばかりでしてね。たとえば春の日暮れ時、さんさんごご、予科の寮を出て用水路沿いに、くぬぎなどの雑木林の中を散歩すると、遠く木の間がくれに、津田の学生の白いシャツ姿がほの見える……戦争前の話ですからね。ぽくたちの学生生活はそんなことに、ほのかなロマンを感じたものですよ。今からでは一寸考えられないでしょうが』
 『そうですね。今はすっかりもう。私は水泳部で、津田にはプールがないので、いつも(一橋大の小平の)プールを借りにいっています』。(おや、小平の予科にプールがあったかな?一寸思い出せないが。)

 彼女も雄弁になった。楽しそうに語る顔は残念ながら正面からは見えない。斜に見える横顔の眼は、そういえばなかなか理知的なようだ。
 『あのころの小平はのんびりしていましてね、人家が少なかったこともあって、われわれの先輩が、学校に近い多摩湖線の電車とか駅とかをこわしたり、われわれも卒業の春、最後の寮のストームで窓ガラスを一つ残らず割ってしまい、あとから、親もとに多額の修理代の請求がきて、おやじからしぼられたこともありましたよ』
 彼女は、くすっと笑ったが、多分、四〇年も前のことだ。いくら説明しても心情的に充分理解はできまい。

 『ところで、津田であなたの専門は?』
 こんどは彼女が、自分の勉強している課目について熱心に説明し始めた。英語を中心にして、古い言葉の文法などを調べ、言語の発展を追うのだという。その為赤ちゃんのコトバを覚える過程を調べることもある。何れにせよ、英語の学問も、最近はずい分広くかつ深くなったようで、古いアタマのわたしにはあまり理解できそうもない。
 そんな調子で、一方は四〇年前の小平のことを、相手は現在勉強していることを熱心に語りあっているうちに五〇分ばかり過ぎ、列車は京都駅にすべりこんだ。

 『失礼します。ここで降ります。この新聞は置いていきます。』
 彼女はそそくさとあみ棚のカバソをとり、一礼するや、足早やに立去っていった。やがて、列車が静かに動き始めると、彼女は、わたしの窓の外に近よって来て手をふった。顔は暗くてよくわからないが、やや長身ですらりとしているようだ。そばに連れの友達らしい女性がほほえみながら歩いている。
 連休を利用しての京都見物、とみてとった。二人は、新幹線が混んで、並んだ席がとれたなったにちがいない。わたしは列車の窓のこちらで、小さく手をふってこたえた。二人の姿は直ぐに見えなくたり、列車は新大阪に向ってスピードをあげた。


 それから十日ほど後の五月の日曜日、三鷹の禅林寺で、大学同級(三組)の鈴木栄二君の告別式が行われた。焼香をすませて出棺を待つあいだ、かってのクラスメート七人が広場の一隅に並んで葬儀をみまもった。川口、田中、林、小宮山、湯原、坂田の諸君とわたしである。
 なかには、二、三十年ぶりに再会した者もいたが、お互いに『よう、しばらく』と一言かわすだけで、心は直ぐに四〇年ばかり前に戻ってしまう。これが同期生の不思議な有難さ、というものだろうか。
 小声でささやくように、
 『鈴木君とは、この前いつ会った?』
 『去年の春ごろのクラス会だ。元気で変りなかったよ』
 『長く病気だったのかい?』
 『急だったのではないかな』
 会話をしているうちに、鈴木君の、『お嬢(さん)』といわれた小柄で大きな眼をした美少年の頃の姿が目に浮んでくる。それは、タイムトンネルで、一瞬のうちに四〇年前の自分たちに戻った感じである。クラスの中でも一番年齢の若かった鈴木君が、このように早く逝ってしまうとは。

 『戦争中に死んだ者は別として、その後なくなったのは、クラスで何人かな?』『たしか、松原君が若い頃で、城所君が数年前。鈴木君で三人目ではないかな。』
 『思ったより少いというべきか。』
 『意外に長生きのクラスかもしれないね』
 そんな話をしながら、わたしは、今度は、これからのわれわれの行き先を覗きこむような思いで見ようとした。しかし過去のタイムトンネルはよいが、未来のそれのみは、まさに、神のみぞしろしめす、である。


 その日の夕方、帰宅したわたしほ、例のニューヨークタイムズをとり出し、難しいクロスワードパズルにとり組んでみた。そしてこれをくれた彼女を思い出した。
 といっても、正面の顔を見たわけでなく、名前も知らない。年齢も、わたしと、親子以上に違っていた。それが何故あのように急に親しくなり熱っぽく語りあったのか。わたしは、それはわたしのタイムトンネルの魔法だと気がついた。わたしの方の青春は遠い過去であり、彼女は今"青春のまんなか〃にいる。そして、彼女らには、好きな一橋大生がいるのかもしれない、とふとそんなことも考えてみた。

 


卒業25周年記念アルバムより