3組  林  英雄

 

 写真部(カメラアートクラブ)の部員としてレンズを透し自然の美を記録し、山岳部にお伴をして身体で自然の魅力を感じ、スキーツアで白銀のスプールに酔う蓼科高原、八ケ岳縦走、北アルプス、蔵王、と学生時代の思い出が、幼少の頃から家族で旅に出掛けるのが多かったのと併せて、「旅」の魅力に取憑かれた動機である。カメラを肩に白根山、美ケ原高原、中央アルプス、駒ヶ岳、木曾駒、那須茶臼岳、と社会人になっても山登りに散策にと続く。加えて材料の買い出し料理、特に後片付けの「皿洗い」が好きな変った私ではあるが、「食味」に興味を増し機会あれば「旅」に出掛け郷土料理を楽しみにしている今日この頃である。

 南北約三千キロ、
 稚内から波照間島までの距離はアメリカの南北より長く、イギリスの最北部からスペインの最南端までの距離に当る。季節と場所の組み合わせでは無限に「旅」の魅力が展開している日本全国が、本籍地東京となってる私のふるさとである。

 「旅」という言葉の語源はTRAVAILからTRAVELに転化したと記憶する。「苦労」という意味のフランス語からして、「旅」にあっては身体を動かし、わが足を運び、苦労を求めることをすすめているのであろう。健康の許す限り「旅」は続けていきたい。アルバムの頁をめくりつつ、その時折の「旅」と「食味」八ケ所ほど撰んで、想い出を新たにしてみることにする。


 黒と白の縞模様の土蔵、川面に影をうつす柳の並木、
 歌舞伎の舞台のような情景を抱えた倉敷の帰路、岡山後楽園近くのすし屋「魚勝」に立ち寄り食した「ママカリずし」。後味の残らない味わい、舌に媚びまつわるような甘さ。瀬戸内の地場ならではの美味である。「祭ずし」と共に味覚の楽しみが豊富である。


 周囲一○○キロ、
 九州一の高山、宮之浦岳の他一〇〇〇米以上の山三〇峰を数え、志戸子海浜近くにあるガジュマルの亜熱帯樹林、樹令数千年の屋久杉の原生林、平内海中温泉の露天風呂、大川滝、白谷雲水峡等々、屋久島には自然の魅力がある。
 知人の宅で御馳走になった御主人手料理の「山羊味噌鍋」は予想もしてなかっただけに野趣が強く、「石蕗の舎」と云うしゃれたホテルでの食事と対照的であった。
 岬の灯台、紺碧の海、永田浜の砂が目にまぶしい。


 屋久島宮之浦港を出て、右に種子島左に硫黄島(喜界ケ島)、次いで右に大隈半島最南端佐多岬、左に長崎鼻灯台、開聞岳、やがて前方に桜島の噴煙を眺めやりながら約四時間半の航路は、鹿児島港岸壁で終着となる。
 薩摩郷土料理「熊襲亭」での「キビナゴ」の刺身は体長十センチにも足りない細く透き通るような、而も銀鱗の艶を思わせる水々しさの輝きをもった小魚で、酢みそで食べるのが最高。細い指先で頭、腹をかき取り開いたものをふぐ刺し同様綺麗に並べてある。
 他所では味わえぬものにすしの仲間ではあるが、酢を一切使わない「酒ずし」がある。朱い漆ぬりの屋久杉の特製スシ桶の底に木の葉を敷き、飯をのせカマボコ、サッマ揚げ、鯛、海老の刺身等の具を細めに切ってのせ、その上に飯を、更に竹の子、蕗、人参、キクラゲ、シイタケ、ミッバなどの具をのせる。また飯をのせ錦糸卵、モミノリの具を重ね、木の芽を散らした上に少し甘口の地酒をタップリかけ、重石を置いて仕上げるすしである。桶と同じ塗りのシャモジで中型の銘々皿に盛りつけて食べる。
 絢爛豪華、芳烈華麗と評した人がいるが、まさに言葉そのものの「食味」である。地酒の銚子を一本別に持って来て呉れたのは、酒味の少いと思われる方がすしの上に更にかけるとのこと。勿体ない気がしてそのまま飲んでしまった。
 琉球塗のすし桶そのもの自体、家に飾って置きたいほどの出来ばえだが、今日では手に入る見込はない由。白木のお櫃を利用してでも作ってみたい料理である。


 揖斐川をさかのぼって桑名の北方約一〇キロ、近鉄養老線多度駅下車の処にある多度神社の門前町に、創業二百五十年を経ているという「大黒屋」がある。
 瓦屋根、連子窓、白障子、白壁の塀、一見農家風と見える土間より入り、鯉の群れなす深い池をのぞんでキシム渡廊下を行くと、座敷が鍵の手に廻っている。小部屋は何れも先客で占められ奥座敷の広い一室に妻と二人だけが案内された。
 鯉料理は昔から好きで洗い鯉こくは目がない食べ物であるが、これほど多彩な料理は想像もしてなかった。

一、鯉の皮をそぎとり、はるさめと共に酢のものにした前菜。鱗のついた皮は口の中でトロケるようにやわらかい。
一、アバラ肉をたたいて団子にし揚げたもの。
一、小さな魚田二片と鯉の肝の煮つけ。
一、尾びれの唐揚と鯉の切身のフライ。
一、ワサビじょう油で食べる洗い。湧泉の池で苔を食し育ってるので臭味なく酢みそは用いていない。
一、塩焼と胡椒をふった照焼。
一、卵と針しょうがをあしらった筒煮。
最後に鯉こく、御飯、漬物、果物

 巴川の渓谷に沿いモミヂの名所香嵐漢の川辺で食した鮎料理、宗谷川の自然の渓流を利用設備東洋一を誇る醒ヶ井養鱒場での鱒料理の多彩さを満喫したが、その土地特有の空気の味がより一層野外料理を美味いものにして呉れたのだと思う。


 名古屋から寝覚の床の景勝美を車窓左手に見て急行で二時間半、山と高原の光はまばゆいし底ぬけに明るい。優雅な山容の木曾御岳、カントリークラブの白樺の林。高原や山を愛する人々をこの大自然は待っている。
 木曾と云えば島崎藤村の「家」「夏草」特に「夜明け前」には強い印象がある。滝沢修演じた「夜明け前」の座敷牢の薄暗い場面が目に浮かぶ。シーンと静まりかえった観客席にひときわ冴える哀愁に充ちたへ木曾のナーたかのりさん……が心にくいほどゆっくりした調べにのって響いていた。何か目頭の熱くなるのを覚える。
 大好物である蕎麦と云えば、関所と宿場の町であった木曾福島の「車屋」。木曾川のほとりの橋畔にある。炉をきった座敷で川魚の素焼をワサビじょう油で酒のつまみにし、すんき漬を刻んでのせた熱もりの味は、席を同じくしたゴルフの友の顔と共に忘れられない。


 蕎麦に次いで「さばずし」が好きである。京都の「いづう」は出前専門で中学時代手術後の養生に逗留した笠置温泉の帰途、都ホテルに滞在中母が取り寄せた記憶があったが、「料理仕出し」から店頭で食べさせるようになったのは「いづう」にしてみれば大変な転換である。
 身欠きにしんと並んでさばが重宝されている京都町民生活の知恵が今でも息吹いている。はも、棒ずし、箱ずし、何か京都の香りと云ったものがしみついているすしである。器が立派な品ぞろいであるのも、食味に加えて小じんまりした客室をより格調高いものにしているといった店である。


ランプの芯をほそくする
誰か出て行ったようだ
見なれぬ客人
渓川の水の精である
私は夜冷えを感じて障子をたてる
    (田中冬二氏の法師温泉より)

 行灯の光がゆらめく浴槽には玉石が敷きつめられていて、この石の間から泡をたてて透明な温泉がふき出ている。浴槽は四ヶに仕切られ夫々に太い丸太が渡してあり、首すじをここに当て温泉につかるのだが、素朴な山菜、川魚料理、何れも山奥の湯治場ならではの情景である。夜更けてランプの油が切れ側のランプを替りに持って来て最後の追込みに懸命だった麻雀牌の音が二十年来耳に残る。
 妖しき水の精に誘われたのか、この五月に再度訪れることになった。
 今はもうランプは無くなっていた。浴室は昔と少しも変っていない。川音の一段と冴えた夜、ただ一人湯舟につかる。行灯(電球に替っていたが)のあかり薄暗く、湯面に泡が妖しく消えていく。泉鏡花「高野聖」の幻想に引きずり込まれるのか、窓より吹き入る冷気が顔面を横切っていった。或る時は小さく或る時は続けて大きく、泡は静かに湯面に上り波紋をひろげていく。

 翌日は湯宿まで下り三国路の「野仏巡り」に出掛けた。谷川岳連峰を北の方に眺め田圃の畔道山路を歩き道祖神、地蔵尊、庚申塔、等と八ヶ所の野仏を巡り、最後に延慶二年開創の古寺「泰寧寺」を訪ね、茶の馳走を受け野仏巡り記念の色紙を戴く。
 猿ヶ京ーー頭上に藤棚の花を愛で、眼下に赤谷湖を見渡しての露天風呂にて一日の疲れを癒やす。湖底に沈んだ村里を偲ぶ灯籠流しが、夕闇迫る湖面を照らす情景を見やりながらの郷里の味は素晴らしい。
 沼田横道第五番札所、駒形観音詣でに馬を曳く馬方にすすめた縁日の朝がゆの名残り「駒形がゆ」は、猿ヶ京関所と宿場のある三国街道の遠き昔をしのばせる馬子唄と共に、朝霧にかすむ湖の旅情の中で心から身体を温めてくれた。

   粥の功徳  十利者
一者色 二者力 三者寿 四者楽 五者詞清弁 六者宿食除 七者風除 八者飢消 九者渇消 十者・・・・・・・・

 


卒業25周年記念アルバムより