3組 牧野 知久

 

 私の東京商科大学受験の決心を固めたのは、兄牧野誠一の影響が大きい。私より二年先に東京商科大学に入学し、勉学の側ら水泳部でスポーツに邁進していた兄を通して、自由闊達な学園生活の模様を知り、これこそ学生生活を送るにふさわしい学園であると思い定めて受験勉強に励み、幸にして志望通り入学出来た喜びは忘れられない。

 従って入学するや直ちに水泳部に入部し、厳しい訓練に明け暮れる水泳部の生活に身を投じた。現在各方面で活躍中の先輩・同輩は多士済々であるが、やはりいつ迄も想い出されるのは若くして戦死された友人である。自由型で斗志溢れる試合振りが記憶に残る福間誠君(三組)、背泳で活躍した黒川忠嘉君(一組)の両君は特に親しく交際しただけに、いつでも浮んでくる友人である。「死者は生者の想い出の中にのみ生きている」という言葉が何かの文学書に出ていたが、正にその通りと思う。亡くなった友人は生きている我々が追憶すればその度に勿ちにして蘇ってくる。しかも目を閉じれば学生時代その儘の姿で鮮かに蘇ってくる。

 さて私は卒業後間も無く、昭和十七年四月十日九段上にあった近衛歩兵第二連隊に入営し、甲種幹部候補生として同じ年の十月に仙台の予備士官学校に入学、十八年四月に卒業と同時に同じく九段にあった近衛歩兵第一連隊に転属し、その後終戦に到るまで同じ連隊で宮城の警衛(当時は御守衛勤務)に専ら従事していた。戦地勤務の経験は全く積むことなく終始したが、軍紀の極めて厳正な部隊であった為、よくいわれるような初年兵時代の苦労も全く無く、演習は厳しかったが、全国から選ばれた中流以上の農家の子弟によって構成されているため明朗な空気が連隊の中に充満していて、愉快な軍隊生活を送ることが出来た。特に東京を殆んど離れたことがなかった私にとって同僚の将校や下士官兵から農村の話を聞き、彼等の生活態度を見ることは人生の経験として誠に貴重なものであった。一橋学園の学生生活は私の人生観を確立させて、幾多の友人を与えてくれたが、その後の軍隊生活は私の人生観の幅を広げてくれ、軍隊生活の厳しい訓練は精神的にも肉体的にも私を鍛えてくれたものであり、この点は今に至るまで軍隊生活に感謝している。

 卒業以来既に四十年に達せんとしているが、友人知己に恵まれ、健康で働らける幸福も、十二月クラブの多くの友人の賜物と衷心より感謝しつつ拙文を終ります。

 


卒業25周年記念アルバムより