3組  宮下 八郎

 

 信州伊那谷と言えば、山また山の中、木曾谷を連想されるでしょうが、少し違って、いわゆる伊那節の「東仙丈、西駒ヶ岳、間を流れる天竜川」沿岸一帯の肥沃の地・伊那盆地です。長野県としては南信、日本のほぼ中央に位置し、最近は中央高速自動車道がほぼ全通して、東京・名古屋から夫々二時間半のメインストリート沿い。近い中に東海新幹線がパンクするので、もっと短距離、もっと新型の中央新幹線の信州駅が出来るのも伊那路です。

 自然景観では、まず、南アルプスは、日本第二位の高山・北岳(一三九二米)、第四位の間岳(三一八九米)、仙丈、甲斐駒などの三〇〇〇米級の山岳が十峰、二五〇〇米以上が実に三十六峰を数える豪快な山なみで、その重量感溢れる山岳美、大原始林、渓谷、お花畑、高山植物の群生は山男のメッカである。また、「八分で三〇〇〇米の雲海の上に」と謳われる中央アルプス木曾駒ロープウェーには、生きる歓びを感ずる爽快さがある。

 また、悠久の太古に、日本列島の中央構造線などの構造三線が合流・隆起して成立した地域であり、大自然の年輪を感ずる河岸段丘が広がる。

 四季の気象は、比較的温和で柔かく、北信と違って雪は少く、好天・乾燥度の高い表日本式の高原で、旧石器時代の人類の痕跡が発見されるなど、古来、割に住みよい地とされたらしい。
 縄文・弥生の土器・石器、邪馬台国の栄えた時代の古墳群、出雲神話につながる神々。
 また、日本統一をはたした大和朝廷が東国経営のために造ったのが、大和・美濃から伊那谷を通り、諏訪・佐久に入り、碓氷峠を経て群馬・関東に入る東山道であり、実に、わが国最初の国道であったし、日本武尊が東征の砌り、足跡を残しているのも伊那路である。

 こんな風土と歴史の厚みの流れの中に伝承し、生きてきた中世・近世の伝統生活は、豊かな心とやさしい心を育て続け、今に伝える年中行事・祭り・民間信仰・民俗芸能などとなり、宝庫と称されるほど数が多い。

 更に、三つを挙げれば、高遠城趾のコヒガン桜、古刹光前寺の杉並木、千畳敷力ールのお花畑は観光の目玉である。
 伊那は、穀倉地帯である外、リンゴ・梨・桃などの果物、花キ園芸、都市近郊型の蔬菜や高原野菜の基地である。
 また、電子・光学・精密・機械工業など近年、飛躍的に発展し、後進性を脱しつつある。
 こんな、かけがえのないのが、私の故郷伊那路であります。

 


卒業25周年記念アルバムより