3組 湯原 孝久 |
一昨年、胆のう手術のため一ヶ月近く入院した。痛みはじめてから暫く放置していたためか、痛みが慢性化し、入院する直前には胆のうのあたりが明らかに外からも分るほど腫れあがり機能しなくなっていたらしい。手術がすんでしまえばあとはただ回復をまつだけ、至極単調な時間の連続である。こんな空白期間のおかげで大分本も読めた。そして思いつくままに感銘の深かったところを抜き書きし手帳にメモしたのがいつのまにかたまった。手術はやはり恐ろしい。ましてや私どもの年令になるとがんの恐怖もある。今メモを読みかえしてみて、当時の不安な気持がよみがえってくる。サラリーマソの生活もいよいよ最終コースに入って、いやでも自分のこしかた、あるいは生きかたが回想される。サラリーマン生活の反省をこめて思いつくままにいくつか拾いあげてみた。 「人生の主役は自分である。自分の人生を自分で支配できなくなったら、あなたは犠牲者である。もしあたたが「糸」をひいていたいのなら、他の人あるいは自分以外のものによってあやつられていることになる。(中略 )ここで私がいう犠牲になるという意味は、あなた以外の力によって支配され抑制されるということである。(中略) 誰も自由を手渡してくれるわけではない。自分で自分の自由をつくり出さねばならない。 (ダイアー「自分の時代」) このダイアーの書物はアメリカでもベストセラーになったという。原題は「自分の糸は自分で引け」というのだそうだが、これを読んだときはかなりショックだった。ここでダイアーが説くのは、つまり徹底的な「自分のための自分」である。これは痛烈な批判である。自分の糸は何かが、あるいは誰かが握っている。これからの自由、一体そんなことが可能なのだろうか。 「人は田舎や海岸や山にひきこもる場所を求める。しかしこれはみなきわめて凡俗な考え方だ。というのは、君はいつでも好きなときに自分自身の内にひきこもることが出来る。実際いかなる所といえども、自分自身の魂の中にまさる平和な閑寂なかくれ家を見出すことはできないであろう。この場合、これをじいっとながめているとたちまち心が完全に安らかになってくるようなものを自分のうちに持っていればなおさらのことである。」 (マルクス・アウレーリス「自省録」岩波文庫) こんなにしてせめて「自分のための自分」の時がもてたらーー。ここで近頃私は吉野俊彦氏の森鴎外の研究を三冊ほど続けて読んで非常な感銘をうけた。吉野氏は、以前日銀の調査局長として令名をはせ、現在は著明なエコノミストとして健筆をふるわれている。この吉野氏が畑ちがいの森鴎外研究を公けにされたので意外と思ったが、読んでみて成るほどと思い感動したのである。鴎外は陸軍軍医として軍医総監、陸軍省医務局長という最高の地位にまで到った人であり、同時に明治大正の代表的文豪として名をなした人である。氏によれば、鴎外の本職は軍医といういわばサラリーマンであり、そのかたわら文筆活動を続けるということは二足のわらじをはく者として当然部内における風あたりが強く、鴎外もサラリーマンとしての哀歓をつぶさに味わいつくしたという。吉野氏御自身も日銀時代に論客として対外的に脚光を浴びれば浴びるほど、当然対内的にはサラリーマンとして苦悩されたこともあったという。 「われわれは短かな時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費されるならば、最も偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている。(中略) われわれは短い人生を受けているのではなく、われわれがそれを短かくしているのである。われわれは人生に不足しているのではなく濫費しているのである。 (セネカ「人生の短かさについて」岩波文庫) われわれは人生を濫費しているーー随分手痛い批判である。私は入院中、自分のあとの持ち時間は、と考えたことがある。十分に長く有効に費されなければならない。 ここで小ばなしを一つ。 「ヤシの木の下の昼寝という小ばなしがある。アメリカ人が後進国開発の意気に燃えてアフリカの一小国にいく。海岸のヤシの木の下で昼寝している男をみて、 私もインドの勤務を二年ほどしたことがある。もしわれわれが、「たぜもっと働かないのだ」とたずねれば、きっと「なぜそんなに働かなければならないんだ」と答えがかえってくるであろう。長洲氏がここで云おうとしていることは、手段の合理性と目的の合理性ということらしいのだが、ひと口に「合理的」といっても、まことに多義的で使いかたでどうにもなるということだ。日本人に対し働きばちという非難が欧米にも多いときく。やはり考えさせられる。笑ってすまされる問題ではなかろう。 最後に、 踏二尽千山雪。 帰来臥二白雲。 これは碧厳録にあるらしいのだが、別に調べたわけではない。何か読んだもののなかにあったのを、何となくいい気分になるのでメモしたものらしい。 |