3組  殷 銘 春

 

 十二月クラブの副幹事長である同級生の下田君に、催促されて実に何を又如何に書こうか随分なやみました。
 十二月クラブの会員名簿をめくりまして、同学中に多くの戦死者を出し、聞いていた日本終戦後の色々の苦しみと、中国も内乱のため、私は多くの親類を大連に残して、(長兄明徳、東京商大 四弟、明運、東京工業大学、 五弟、明発、北海道函館高等水産 を残し、)妻と長男を連れて当時交通不便の為、汽車、飛行機、ジャング、自転車と云う様な交通工具で大連から天津、北平、煙台、青島から台湾にまいりました。顧りみまして、実に吾が年代の相互の大災難でした。

 去年長兄明徳の商大同級生が、台湾に来て台湾如水会を通じて長兄の消息を尋ねて来たが、私は台湾に来て、もう三二年にもなりました。本当に夢にも思わない長い人生です。此間、大連の親類と連絡がとれず、一切の消息不明の上、こうゆう年になって故郷にも帰えれず誠に残念にたえない。

 今でも、学生時代が一番たのしかったと思います。私は一番よく皆様と一緒に、ボートレース、ラグビー、バレー等のクラス対抗に参加し、また予科一年のクラス雑誌にも喫茶店について一筆書いた思い出があります。

 この私が、あまりにも皆様と一体になって、似かよったせいか、台湾の方々から、私は日本人だと云われました。

 私は、大正七年生れで、台湾に来てずうと公務員になり後二年で停年になります。停年後は、世塵をはなれて台湾の浜辺か山の中で隠居し静に余生を過すつもりです。

 キリスト教会の英国人伝教士が曾って宅に来て入信を勧めた時の対話をもって本文の終りとして頂きます。

伝教士:貴方の宗教信仰は?、
私:ない。
伝教士:貴方の心のたよりは?
私:良心
伝教士:貴方の良心の元は?
私:家庭の教育と学校教育。
伝教士:貴方は失敗と挫折はないか?
私:勿論あります。
伝教士:貴方はそれを如何に解決しましたか?
私:自分で反省し場合によっては運命だとあきらめます。
伝教士:また訪問に来てよいですか?
私:いつでも歓迎します。

 最後に皆様の御健在を祈ります