4組  阿波 博康

 

 国立の学舎を巣立ってから早や四十年、頭髪もとみに白さを増し、腰痛や肩こり、神経痛を気にする年令となった。四十年を振り返ると数々の苦しみもあったが、いやな事も今は楽しい想出となり、感謝の日々を送って居る。

 第一に小平、国立での六年間は学問的には兎も角、同窓各位との血の通った交遊の場として小生の一生を方向づける楽しく意義深い年月であった。そして十二月クラブが出来、同窓の絆がより固く結ばれ、大きな心の支えとなって居る事は感謝である。地方に居る為に行事には余り参加出来ず残念に思って居るが、在京役員各位の御苦労に心からお礼申し上げたい。年々数人づつの物故者が出て同人の数の減少するのは淋しいが、出来るだけ多くのメンバーが健康に恵まれ、廿一世紀を家族共々祝えるよう願ってやまない次第である。

 次に軍隊生活の四年半も武運強く生き残り、戦場に散った多くの同窓を悼みつつも、今は得難き経験の想出として時折り思い出して居る。

 仕事の方も戦後の混乱期に総員四十名足らずの現在の会杜に入って既に三十数年、いろいろと曲折はあったが、ほぼ順調に発展を続け、中規模乍ら五百名、年商百億に今一歩の処迄成長し、独特の製品で産業の発展に貢献出来て居り、海外でも段々に評価を得始めて感謝している。特に人材面では苦労が多く、一流校出身者は殆ど大企業志向で小規模の我々の企業での人材の確保、養成は仲々むずかしい問題であった。然し乍ら長年の努力で、中堅企業の方が個性が尊重され、個人の力を発揮する場も与えられ易いというメリットも理解され、そこそこの人材が集って来た。然も夫々が我々の方針や考え方を理解し、一流校出身者に決してひけをとらぬ熱意と努力で企業を盛り立てて呉れるので、十年前と同じ人員で二倍以上の生産性を上げられる様になり、本当に良い従業員に恵まれたものだと感謝し、彼等の生活や将来についても責任を感じ日夜努力を続けて居ます。

 又小生は不幸にして子宝に恵まれず、十年一日家内と二人だけの生活で、人からはよく「淋しいだろう。養子をしたら。」等いわれるが、達観してしまうとこれで結構特に淋しいということもなく、実の子があっても新聞面でよく問題児の事も見るし、今更子供などとやせ我慢を云って暮している。親としての苦労を知らないので一人前の人間としての物の見方、考え方に何か欠ける処があるのではと一寸不安な点もあるが、これからも二人で助け合い乍ら揃って廿一世紀迄元気でありたいと願って居る。

 幸いに近くに甥や姪たちが夫々に家庭を持っていて、夫々の子供たちと共におじさん、おばさんと良く慕って呉れて、時折訪ねて来て楽しく過し淋しさを忘れさせて呉れるので本当に感謝している。

 過去を振り返り感謝の日々を送って居ると自分達も本当に年をとったなと思うが、気持は未だ未だ若く、若い者に負けるものかと極力従業員のスポーツ大会に参加したり、下手なゴルフや長距離ドライブに精を出し、企業の将来にも夢を持ってこれからも頑張って行きたいと願って居ます。

 

卒業25周年記念アルバムより