4組 一森 明 |
「戦前」 学窓の中では社会とは絶縁状態の無関心ですごした。天皇の事を仲間では天チャソと云ったりもした。学部一年の時いわゆた商大事件(本学の社会主義研究会の幹部が逮捕された)があり思想統制のきびしさに只々反感を抱くのみであった。先輩は卒業一年後には、大多数が兵隊にとられ次々と支那戦線に送られていった。学部三年には戦陣訓を講議され、之が大学かと無闇に腹が立った。やがては自分も兵隊かと思うと当時の世相にあきれ果て虚無的になり水泳部員として春から秋までは小平のプールで泳ぎ夜には酒を飲んで思索の世界から逃れようとした時間の方が多かった。一方それじゃーお前は何の為に生きているんだとの内省も常につきまとった。(一橋寮入寮当時の清水健人先輩の「永遠の精進」という言葉はノスタルヂアとして心の中でささやかれていた)ヘッセを読み倉田百三、阿部次郎から西田哲学へ、そしてカソト・へーゲルを一寸ばかりかじるというお仕着せのコースを辿りつつ経済学への入口を探り求めていた。予科三年の時吾々の小さな研究会へ、笠信太郎氏をお招きして、かなりじっくりお話し合いをした中で氏が「哲学は大いにやらなければいけない。そしてそれは君達にとっては経済学への入口でありMETHODEでなければならない。」との言葉には、私なりに反撥を持ったものだ。然らば私自身何を以って社会に働きかけるのかと反問する時自分の弱さ醜さに、徒らなる自己嫌悪にしか到達し得なかった。この様に自分の殻のなかで堂々まわりしていた私にとって兵隊に行く事は諦めというより自暴自棄的であり、噂に聞く刑務所以下の生活に耐える中に何か新しい自分の発見がありはしないかと云う事さえ考えながら営門をくぐった。にも拘らず幹候中尉までなったのは私の持ち合わせているいい加減な妥協癖のお陰であろう。従って戦後の転身も早かった。 『昭和二十年八月十八日』 アメリカの統治方は、重慶軍を日本占領にあたらせ恐怖政治により日本人を圧迫するであろう(同年七月の世界同盟週報)。将校である私はマークされるだろうから満洲へでも行って馬賊になるか。 『同年八月二十四日』 前記の占領のしかたはないようだ。とすれば私が小学校時代をすごしたマニラの現地人の姿が目に浮ぶ。アメリカさんは冷やかな紳士主義を以て我々を油断させつつ享楽淫靡の風を日本人にしみ込ませ骨抜きにし、欧米崇拝主義者たらしめるであろう。これこそ最も恐るべき策である。 (註) 『同年十月十五日』 「労働組合法について」九州大学、菊地教授「労組法は我国の従来及び現状から言っても、又欧米諸国の例から見ても日本でも近々制定されるであろうが法は組合が活動し出してから出来るのが自然であるのに現状は逆転し法が先になりそうだ。産報組織の脱皮も出来ていない現状では法成立の地盤は成立していない」と彼は微笑を含みつつ語っ.た。 日本の近代文明はその薄っぺらな木筋コンクリートの住宅に象徴される。内容はガタガタなのに表面丈はゴテゴテと塗り立てる鹿鳴館的な明治の文明開化の遺産の上にこの間までアグラをかいていた。この建物が焼夷弾により炎上した揚句の果にこの始末、木筋のはかなさは身にしみた筈である。然るに何ぞ。よし連合軍の要求であろうとも、曰く憲法改正曰く女性参政権、曰く労働組合法と、政府も民衆も内味をそっちのけの空騒ぎだ。又してもいや前にもまして木筋コンクリートの氾濫だ。安女郎厚化粧のくずれた朝の顔だ。民主主義にしても然り。民主民主と先棒はかつぎ立てても実体は大衆から遊離していて迫力がない。政治屋の利権争いの具に供される犬の話ではなかろうか。 『昭和二十一年三月十日』 私はこの日記の中で敗戦国日本の中に生きる私自身を見詰めて行こうと思う。正しく国家を見、社会を観じSEINとSOLLENを判じその中での自己のSOLLENを描き之に対立するSEINの弱さ醜さを承認し、之を答打つのが、この日記の使命でなければならぬ。全体と個の問題は学生時代の私の宿題であった。そしてこ.の混乱の社会の中で私の得た結論は、TATのみが個と全体とのかけ橋であり個の全体に対する存在価値が発揮される。SOLLENに支えられたTATがその問題を解決するであろう。勿論その解決は必ずや次の問題提起に切りかわるのであるが。 『同年十二月三十一日』 混乱の最中に今年は去って行く。平和憲法が発布された。人民の権利は一応保障されたがそれは飽くまでも占領軍の笠の中に於てであろう。明治憲法が発布された時、庶民はこの度は天子様が絹布の法被を下されたそうだと言合ったそうだが今度はマックァーサ様に頂く事になった。日本の庶民は自らの足で立ち上らない先に有難いプレゼソトを送られる。それ丈に社会事象は上滑りをしてとんでもない破局を迎えるのではないか? 『そして今』 昭和五六年五月文集に一文を草せんとして久し振りに昔の日記を紐解いて見た。青年客気に燃えている自分に微笑ましい想いがする。そしてその時は自分なりに一生懸命でやって来たと思う。それに引きかえ現在の自分を振り返って見る時何処迄前進したのか?途中で現在の世相を批判したが私自身の現状はどうたのか?内心忸怩たらざるを得ない。 |
卒業25周年記念アルバムより |