4組 岩波 薫 |
当年六十四才だから四十周年というと二十四才の時に卒業したんだな!あの大東亜戦争の始った年に。その前六年間、三年小平の予科、武蔵野ヶ原、思い出の寮生活、散策した小川のほとり、運動場、水泳プール水泳部でよく泳いだな!そして大学生活三年、図書館、日時計のうつる池、兼松講堂、上田貞次郎銅像を通して思い出は多い。神戸一中の生活から六年が一橋の青春の血多き生活。思いは走馬灯のようにさかのぼってわが心頭をかけめぐる。 そして卒業後四十年を顧みるのに私の場合人生を決定づけたものはやはり結婚だったように思う。家内の弟が戦後大阪大学の電気工学科を出ながら、東京神学大学校に再入学して牧師となるという事件が起った。もともと家内の家はクリスチャンの家庭ではあったが水攻めにあって私もついに昭和二十五年四月洗礼を受けることになり今日まで日曜日には教会に行っている。さぼった日も多かったが未だに満足な成長はしていないが、判断の基準はここに置かねばならぬと自分に言いきかせている。私は教会に行っていなかったら、手のつけられぬ傲慢な人間になって今頃は断崖から墜落死しているだろうと思うと感謝せざるを得ない。 多くの友情に助けられて今日小さな経営ではあるが何とかやって居られるのも摂理と思うことが多いこの頃である。一橋卒業四十周年記念を迎えるにあたり多くの友情に感謝して簡単且拙文で申訳ないが私の回想録としたい。 |
卒業25周年記念アルバムより |