4組  戸館  博

 

 茫々四十年、これまで、どちらを見ても先輩ばかりだと考えていたら、はっと気がついて僕達が既に先輩になっているのに驚いています。

 それもその筈、頭髪も白く、薄くはげ上った自分の顔を見るとき、若いなぞとはとても考えられません。然し、社会全体が高令化している現実においては六十才になっても先輩づらばかりはできません。時に洟垂れ小僧たらざるを得ず、明治生れの錚々たる先輩がかくしゃくとしていられる姿を見ては吾ながら若僧の悲哀を感じます。

 振返って身辺を見廻して見ると妻も所謂糟糠の妻となり、あっちが痛い、こっちが痛いと云っておるし、何よりも驚くことは二人よりいない娘達がいつの間にか嫁入りして、孫が二人もできて了ったと云うことである。改めて子供達の変化を見、孫達と遊んでいると漠然とではあるが自分の年を考えざるを得ません。然し、自分は今年いくつなのだろうと考えることもなく、六十才を越したことだけは分るが、六十何才になったのか甚だ不明である。

 そんな呑気なことを云っていられるのも、この頃は病気もせず、肩も凝らず、どこといって悪いところもなく、医者にもかかったことがないからだと思う。

 医者に診て貰えば、六十年以上も酷使して来た身体だから、あそこが悪い、ここが傷んでいると云われるにきまっている。恐いからドックにも入らない。時々は下手なゴルフなぞをしてスコアがいいと御気嫌になったり、スコアが悪いとい一日損したような気持になったり、一喜一憂している昨今である。

 



卒業25周年記念アルバムより