4組  (中西 光枝)

 

 「目には青葉」の大先生の句がふと口をつく様な見渡す限りの緑に誘われて……
 相州と甲州の境へ吟行に出かける。バスに乗りおくれ一時間を燕のいる駅に待たされる。
 ホームの端より見えていた桐の花。目の辺りにした大きな樹に美しき紫色の花が甘い香りを投げてくれる。

 桐の花背戸に置かるる木のはしご

 此の頃ではアルミの組立てのはしごが大いばりなので、本当に木のはしごが珍らしい。所在無き駅にタンポポが絮を噴いている。間に合わなかったバスの後を追うかの様に……

 たんぽぽの絮(わた)立つバスに乗りおくれ

 びんぽう草と言われる春女苑も、此処田舎の駅周辺に来ると中々可燐で美しい。

 春女苑それから先きはひとりごと

 ぶつくさ言っている間にやっとお目当てのバスが来る。相州と甲州の間を流れる道志川の渓流に沿ってバスはひた走る。乗り降り自在のバスに土地の人達が気軽に乗り降りをする。

 竹落葉バスにあずける土地言葉

 藪手毬の花が真白に谷をふさいでなだれ咲き、水木の花がみどりの木々を盛り上げている。
 夜来の雨に洗われた木々の中を、黒い蝶が群れては翅ち、良き対手を見つけてはもつれ去る。

 戦後間も無い頃、「おらあ三太だ」と言うラジオ放送の有ったことを。一種のあこがれに近い道志川。そして道志村。あの時の三太君今は何処にいるのやら・…。日本一細長い村と言う道志村は両国を岐つ両国橋で神奈川県と山梨県にわかれている。道志川に影をおとしていく山法師の花。清流に負けぬ清楚なたたずまいにしばし我を忘れる。秋になると真赤な実が熟れると大変美味しいとのこと、食いしんぼうの当方とて一寸食指が動く。民宿で名物の「ほうとう」を頂き句会を済ませ、さて此の細長い村を歩こうと云うことになる。

藤懸けて山風難を深くする
赤芽がしいろたちあがる県境
瀬音をかさね残り山吹彩添える
山また山御簾(みす)をかかぐる花ぐるみ
小綬鶏に呼ばれてもよばれても瀬音

 細長い七里の山道を歩くわけにも行かないので都留市まで行くバスが来たら乗せて貰うことにして一同てくてくと歩き出す。柳絮々々と掛け声ばかりで実物を見たことの無い人ばかり。都会に育った人間の集りとて本の上ばかりの柳絮しか知らない人達に、ドロ柳ときつね柳が飛ばずに待っていて呉れたのには、みんな大喜び。若葉風に乗ってとび散る絮の美しさ。満を持して我々一行を待っていて呉れたかの錯覚さえおこる。目の前をたつ一瞬の絮。二人静かな蕾も仲良く寄り添ってひとむらをなしている。四十分余りを歩いた峠みちをバスが追いつく。いよいよバス旅行?

 遠嶺眩し柳絮の行方声が追う

 分校の見える辺りより風景は一変する。早苗田あり、民宿ありで、窓外に目を凝らすことしきり。橡の花の見事さに大声を出すと、粋なバスの運転手、ゆっくりと走って見せてくれる。何とまあ御親切なこと。途中より乗り込んだ保育所の園児の元気な声。都会の子も田舎の子も変り無し。ホッペの赤い子供達のはしゃぐ声にバスは、いよいよ尻を振り々々走る。道志の七滝ですよと案内をしてくれる運転手に感謝して見惚れる。みどりが繁っていて近くに行かないと良く見えぬという滝も、白い糸を三すじ曳いて中々情緒がある。桑の芽も未だおさなく、東の村の入り口では夏の山法師が咲いていたのに、この村の真中辺りはまるっきり様子が違う。何か日本の地図を見ている様で、さしづめこの辺りは北海道かしら。夏の花のかきつばたあり、春の花の桜が満開。藤。牡丹。鯛釣りけまん草の華かさ。大手まり、芝桜、鈴蘭、山吹等。道ばたの小草は良く分らないものの恐らく春あり夏の草ありかも知れない。

分校の窓つぎつぎに藤の花
万やの縁側低し柿若葉
長き村道志七滝藤かかる
やぶ手まり瀬音重ねつなだれけり

 県道尽きる頃より陽は西へ……鴉の声こそきこえねど、甲斐の没陽は速し。春耕をする人の手ぜまな山畑に、苗の冠る霜除けのボーシがひときわ真っしろく目に残る。かくして延々バス三時間の細長い村の旅は終る。雑木のみどりの美しいところは紅葉の頃が美しい事でしょう。秋にはどうぞ温泉も有ります。と運転手の言葉をお伝えして。いかがですか!!

村道もいつしか国道椽の花
旅に居て愛の錯覚しばざくら

 




卒業25周年記念アルバムより