5組  小林 悦生

 

 皆様御承知の日本で起っなイルカ事件は非常に理解しにくい問題と思う。網を切ってイルカを逃したアメリカ人とカナダ人は「日本人は惨酷だ。イルカにも生きる権利が有る筈だ」と主張し、一方日本の漁民は「イルカは吾々の生活を脅かす敵だ。これを逃がすとはもっての他」と憤激して居る。どちらが正しいのであろうか。
 私は三菱商事で水産の仕事を担当し、米国にも長年駐在したことが有り、イルカに付ては若干学んだことがあるので、この問題を私なりに考えて見た。

 先ずイルカは如何なる動物なのであろうか。日本には簡単に行ける水族館が少ないので、一般には余り馴染みがないかも知れないが、海洋生物学者の調査によれば

(1) イルカの体重と頭脳の重さの比率は人間に次いで高く、知能の程度はイヌ、ネコより遙かに上位にある。
(2) 水中を四〇ノット(秒速二〇メートル)の快速で長時間泳ぎ、然もレーダーと同じ超音波を発受信するンナーの如き機能を持って居るので、暗い水中でも絶対に障害物にぶつからない。
(3) 人間に極めて近い声質を持ち、仲間同志では高度の会話をして居り、将来人間が意思疎通出来る最初の動物であろうと言う学者さえ居る。

 では、獰猛なサメと異なり、全く人間を攻撃しない悧巧で大人しいイルカが、何故日本で殺され、騒がれなければならないのか。私は日本と米国のイルカの種類と、そしてイルカに密接な関係を持つ日米マグロ漁法の違いを考えて見たい。

 1. イルカの種類

 イルカの種族は極めて多岐に亘り七〇余種類あると言われるが、知能が高いだけに性質も夫々かなり違うようだ。日本の近海に住むイルカも種類が多く、カマイルカ、バンドウイルカの如く芸も覚えやすく大人しいのも居るが、どちらかと言えば人間に馴染みにくい種類が多いらしい。例えば水族館の水槽に入れ好物の餌を与えても、人間の呉れるものは一切食べようとせず餓死してしまう陰気なイルカも少なくないようだ。そして又、日本のイルカは後述する通り昔から漁民と宿命的にうまが合わず、どうにも「可愛らしさ」と結びつかないのが日本のイルカの悲劇であろう。それでは米国ではどうであろうか。イルカの一般的英語名はDOLPHINE、これは嘴の長い、流線型の体形を持つイルカ族の通称であるが、米国には嘴の短い、オデコの丸いPORPOISE(パーポス)という特殊なイルカが居る。これは知能も抜群に優れ、性質も極めて人なつっこく、水族館で曲芸をやるのはすべてこのパーポスである。米国のテレビに出てくる主人公である「フリッパー」もこの種類であるが、人命救助をしたり、モーターボートの密輸団を追跡したり、子供達にとり大変な人気者である。要するにアメリカ人は、DOLPHINEという言葉から神秘的な動物に対する文学的イメージを感じ、PORPOISEから「可愛らしさ」を抱き、そしてまた後述する通り漁師達も仲間といった親近感を持っている。

 2. 日米の漁法

 日本の定置網、マグロ延縄(はいなわ)漁業双方にとり、イルカは大変困った存在である。イルカは定置網の中に遠慮なく入り込み、魚を食べ荒らし、網までも食い破ってしまう。延縄漁業の場合も、鈎にかかったマグロを長時間苦労して引揚げて見ると大事なマグロが無惨にも食いちぎられて居る。その食べ方であるが、獰猛なサメはマグロをガブリとえぐりとるか、鈎もろとも呑み込んで引揚げられるのに反し、イルカはトロ味の好きなところを少しずつ食べるとか、脂の乗ったマグロなどは骨まで舐めたように綺麗に食べてしまうらしい。漁師にとりサメの荒っぽい食べ方より、イルカの悧巧な食べ方のほうが余程憎たらしく感じるらしいが、漁師達の気持も心情的に分るような気もする。更に又、サメは引揚げると非常にあばれ手間を食うが、肝臓と中華料理用のヒレが極めて高く売れ、且又、この売り上は全て漁師達間で分配されることが認められて居るので寧ろサメ様々である。之に反しイルカは鈎にもかからず、一銭にもならず、まことに可愛らしくない存在でしかない。さりとて漁業の邪魔になるから殺してしまえと言うのは如何にも人間の勝手な考え方であるが、群をなして泳いで居るだけで捕えられ殺されてしまうイルカも少くない。九州の五島列島、伊豆の大島付近で行われるイルカの追い込み漁法がこれである。スジイルカのような気の弱いイルカは数百頭から千頭近くも群を作るが、これを発見すると漁船団は鉄などのパイプを叩き、日本海海戦の東郷艦隊よろしくイルカ群の先頭を外側からおさえ回頭を余儀なくさせ、一網打尽に岸の網口に追い込んでしまう。アメリカ人、カナダ人が逃がしたイルカはこれである。イルカの肉はンーセーヂや、飼料として売れるが、他の魚類に比し非常に安いので、何もそれ程までして殺すこともあるまいとイル力が哀れに思えてくる。日本の漁師達が若し「憎きイルカ奴」といった気持でこの追い込み作戦を展開して居るとすれば、アメリカ人、カナダ人が日本人は惨酷、陰湿な人種だと感じても已むおえない面もあるような気もする。

 之に反し、米国には手間のかかる定置網の如きものはなく、且又、マグロ漁業は巾着船による漁法が主体である。彼等は機械化された大型巾着船を小人数で操り、マグロの魚群を発見すると直径一粁もの長い円型の網をグルリと張りめぐらし、次第に狭くして最後に底をキンチャクの如くしぼり上げ引ぎ揚げるという近代漁法である。この漁法のポイントは、如何にしてマグロの群を密度濃く集めるかにあるが、彼等はイルカがマグロの群の外側に遊泳する習性があるのを利用し、魚場を発見すると先ず搭載して居る数隻の小型快速艇を円形にとばしつつ外から内側にイルカを誘導して行く。それにつられてマグロの群は中心に集って来る。そこでキンチャク網を張りめぐらすという全くイルカの習性を能率的に利用するやり方である。昔はイルカが網を食い破ることも大分有ったらしいが、今は網も改良された為その被害も少なくなり、漁師達にとりイルカは全く同じ仲間であるといった存在なのである。従って網の中にまぎれ込んだイルカも決して殺すことなく、「Good-Bye、又頼むよ」と肩を叩き逃がしてやる感覚なのである。この同じ漁場に日本から遥々やって来た日本の漁師達が、彼等の操業を見て早速この快速艇を仕入れ真似して見たが、馴れぬせいか、かえってイルカもろともマグロの群も散ってしまい、アメリカの漁師達に笑われたとの話も聞いた。まさかアメリカのイルカが日本の漁師を見て逃げた訳でもあるまいが、何れにせよアメリカ側が「可愛らしいイルカ」そして日本側が「憎きイルカ奴」と、同じイルカに対し全く違ったイルカ観を持って居ることは確かである。然しこの違いも、両国の漁業の歴史と習慣の違いから来るもので、.どちらがどうなど言う問題ではないと思う。

 以上、日本人とアメリカ人のイルカに対する考え方が如何に違うか、そして日本のイルカ事件もその喰違いから端を発したものであることは大体お分り頂けたことと思う。然し、私は最後に次のことを申し上げたい。

 先ず何故日本にだけイルカ事件が起るのであろう。私がイタリーに駐在して居た時、シシリイ島の漁師が定置網に入り込んだイルカを親の仇を討つような凄い形相で、なぐり殺して居るのを見たが、スベインでも大体同じ感覚だと聞いた。恐らく、アメリカ人、カナダ人はイタリー、スペインの漁師が日本と同じようにイルカを殺して居ることを知らないから見落して居るのだろうが、何故日本だけが目立ち、物好きな外人がイルカの網を切るのだろうか。私は先ず日本のマスコミの無神経さを挙げたい。私は何時頃だったか忘れたが、或る日、新聞で大量のイルカが伊豆の海岸で捕獲されたとの記事を写真入りで大きく報道されて居るのを読んで、これを外国人が見たらどう思うかと大変気になったことが有った。

 恐らくアメリカの新聞がこの写真をオーバー気味の記事と共に取り上げたのであろうが、案の定、しばらくして旅行者のアメリカ人、次いでカナダ人がイルカの網を切るという事件が起った。勿論、日本のマスコミも、単に平和日本の地方風物誌的ニュースを載せたに過ぎなかったのであろうが、もう少し国際的配慮が必要ではなかったか。そしてその後、或る週刊誌で「アメリカ人は勝手だ。自分が楽しむお魚釣り、狩猟では平気で罪もない生物を殺しながら、漁業を邪魔するイルカを殺す日本人は惨酷だとし、網を切るのは、誠におせっかいだ」との記事は読んだが、日本側の理屈はその通りである。然し、理屈は別にして、それがアメリカ人の決めたルールであり、物指である以上、自分達が日頃可愛いと思って居るイルカが殺されて居る写真を見れば、直ぐ惨酷という感覚に結びついてしまうことを、吾々には注意しなくてはならないと思う。これはイルカだけの問題でなく、自動車その他の経済問題に付ても、何故日本だけが叩かれる例が多いのであろう。然も吾々の目から見れば相手側が極めて勝手なことを言って居るとしか思えない数多くの例が挙げられるが、日本人はもっと彼我の考え方の相違を学び、外国から無用の誤解を受けぬよう国民全体が日頃から注意をする国際感覚を身につける必要が有るのではないか。

 



卒業25周年記念アルバムより