5組 佐藤 敏登 |
一九三六年、田舎のいも中学から浪人入学して、あこがれの「一ツ橋(明治四四年卒の我が叔父の言う)の小平寮へ入った。あれから戦争、兵役を経て、一九四六年、三菱化成へ復社して、転勤すること九回、家族を引卒して一九七八年、やっと、この小平市御幸町の家に落着したのである。そして今、一九八一年、峠をはるばる越えた人生を生きつつある。 友よ。遥に遠い、彼方へ去った懐しい死んだ友よ。そして又遠い、彼方に芒々と、みえなくなりつつある、懐しい友よ。一瞬の四十年の来し方の友よ。写真の若人たりし、あれ、これ、をみる度にお互いの、その時の、一期一会を、かみしめている今日此頃である。大正ロマンの時代に、都会、或は田舎で生れた我等三〇〇人余。それぞれの出身と境涯が異っても、六年或は三年のなつかしい生活は正に、「黄金の日々」であった。小平、津田、西荻、国立、一ッ橋如水会館、そして昭和十六年十二月の兼松講堂の別れ。敗戦。そして社会人に復帰したお互いは、幸運、不運に激しく揺れた。戦死した心美しき友、健康を失った友、戦争の為職場を離れて仮職場に移った友、それを救うべくもなく生きる丈であった我。「死んだあいつはいい奴だったなあ」「おめーえ、よくガメツく生きて来たなあー」「遺族、どこで暮しているんだ?」 一ッ橋が少数同期であるが故に、家族の行く末まで気になるのだ。いわんや十二月クラブは、メンバーの一人一人が家族の一員で、これまでやって来た。有難い同期の卒業会である。数多い、学友会の中で全く模範的モデルであろう。これから、メンバーは一年一年減って行く。不吉なことよと言う友も多からんが、事実であるとすれば、尚更、我々とは、会合の一っ一つを、一期一会と心得べきと思う。されど尚、人生八十年と呼ばれる今日此頃。あと二十年。さあー、誰が最后の一人になるか、お互いに声をかけあって、終りなき世を、つないで行こう。 |
卒業25周年記念アルバムより |