5組 高橋 勝 |
卒業三十周年記念文集えの小生の寄稿「籠球三味」を読み返した。中学・浪人・大学の十二年間の籠球三味の生活。「我が青春に悔なし」の感想がしたためてある。 つい最近まで年に数回バスケットの試合をしている夢を見た。例外なしに同じ場面ーードリプルで相手を抜いて(右手火傷で素々シュートは下手)フォワードかセンターがヒョイと相手のマークを外したところえパス、それを受けた奴がジャンプシュートでゴール。ところがタイミングが合わないと折角自分の相手をドリブルで抜いてもパスが出来ない。シマッタと思ってやむなく自分で体勢不整でシュート、之が決まらない。直ぐジャンプしてフォローシュート。又駄目。又駄目、五〜六回続けてやっと決った。途端に目が醒める。ヤレヤレ。 四十年近い会社員現役生活(兵役は右手の火傷のみの理由で応召即日帰郷で未経験)の修羅場を振省って見ると、その基盤に矢張りバスケット精神が大きな地歩を占めていたことを再認する。最善を求めて、チィームワーク強化を念頭に毎日少しづつでも進歩しようと精進する。然して倒れて后止む。但しこれは理想。言換れば「背伸び」ということか、良く言えば「ロマン」。 三十七年間「俺の化工機」に勤めた後合理化対策の一環として仲間二十二名で子会社「化工機商事」を設立。三年足らずで三十三名飯が食えるようになった処で社長を引退。目下顧問として暫く後輩育成に当ることになった。化工機商事のオフィスに小生自筆の「社是・・・ 一、生き甲斐と希望。二、苦あれば楽あり失敗は成功の基。三、サービスが優先報酬追随」の額と、一橋最初の総理大平先輩の祝賀パーティでの大平さんを真中に、韮沢、戸辺、金子君と共に撮した写真を飾ってある。この会社が俺が棺桶に入る時迄にどの様に発展しているか、誠に楽しみだ。 さて第二の人生は如何相成りまするか、これ又大いなる楽しみ。これからの人生は自己の生きざまの集大成と観じる。 そろそろ健忘症が進んで来出した(俗事を忘れるのは有難いが)。徐々に難聴気味(余計なことは聞えない方が良い)。若干低血圧と貧血症。但し足腰は五十一・ニキロを支えるには充分・・・一R半ゴルフは日常茶飯事、一年半前伜にせがまれて二R付合ったが翌日さほど疲れ残らず。但し後日女房にバレて呆れられた。五年半前胃を3/4切除し最近家では梅酒の水割り一パイが晩酌、五ヶ月禁煙にチャレンヂして成功したので目下節煙に切換えた。 十八、九年前から趣味と実益を兼ねて英米の小説など原書を月に一、二冊読む。時々謡曲をうなる(中学同期生で学芸大学邦楽科の教授だった師匠に死なれて此頃は観世家元兄弟のレコードが師匠代役)。麻雀は週二以上から段々回数を減し月三から月一以下に、最近は已むを得ぬ時だけ、即ち年に数回。最近六十の手習で碁の勉強を始めた。ゴルフは月四弱平均コースえ出るが練習は週一。 四年半前大阪駐在の折から(中)老夫婦水入らずの家庭。長男の家に孫二人、次男は今秋結婚予定、と言うことでそろそろ老人らしくなって来出したという訳だ。 学生時代に同じ空気の中で若い生命を燃焼してきた旧友達、中学時代に全国制覇を成遂げたバスケット仲間、そして十二月倶楽部の仲間。顔見る丈けでも楽しいものだ。と同時にそこには「ロマン」がある。懐旧も結構、孫の話も結構。然しお互いの心の内にある「ロマン」・・・之を何時迄も大切にして行きたい。頑張ろうではないか。 |
卒業25周年記念アルバムより |