5組  早川 泰正

 

 日本人が欧米のことを知っているほどには、かれらは日本のことをまるで知らないというのが通説になっている。アメリカのベストセラー小説「ショーグン」のテレビ映画を見て、あまりの奇妙キテレツに呆れかえった人は多いだろう。

 しかし最近、欧米の経済人の日本に寄せる関心の深さと熱意はやや異常といってよい程である。世界に冠たる日本の自動車、IC、家電などの工場は連日外国の見学者で溢れているらしい。かつて明治時代に日露戦争に勝った日本人の秘けつを探ろうとして、梅干しの研究を始めたという一つ話がある。かほどに実証精神の旺盛な連中の子孫であるから、ひとたび「日本に学べ」ということになれば徹底して機械や技術はもとより、かの日本式の「QCサークル」から年功序列制にまで手を延ばす有様である。

 このような欧米の日本熱の理由が日本経済の高い成長にあることは論をまたない。しかもその熱度が日本経済にとって高成長期といわれた昭和四〇年代前半までよりも、石油危機を経過したいわゆる中成長期にいたっていっそうエスカレートしていることは注目すべきであろう。昭和四〇年代前半に比べれば、貿易摩擦やエネルギー障壁などによって日本経済の成長率は半減した。しかし石油危機やドル不安が欧米に与えた影響ははるかに深刻であった。日本が二つの石油危機を巧妙に乗り越えたのに比べて、かれらはいぜんスタグフレーションという名の後遺症に悩んでいる。かつては欧米先進国に「追いつき、追い越せ」を至上命令にしてきた彼我の地位がいつの間にか逆転したのであろうか。

 ある調査(日本経済研究センター会報三九二号)によれば、現在世界のGNPの一〇%以上を日本が占めているが、その大きさはイギリス、フランス、イタリアの三国の合計にほぼ等しい。昭和三〇年の日本のGNPは世界のわずか二・二%にすぎなかったから、その急成長ぶりがうかがわれる。日本人の生活水準についても同じことがいえる。昭和三〇年の日本人一人当りの実質所得はアメリカの一〇〇にたいして一二であったが、昭和四五年には三七に上昇し、石油危機後の五〇年にはアメリカの三分の二となり、現在では肩を並べるにいたった。とくに日本の場合は所得分配の平等度が著しく高いから、下から四〇%の低所得層の生活水準は欧米先進国のすべてに突出している。昭和五二年の数字で見れば、日本の一〇〇にたいして西独ですら八二、アメリカは七四、イギリスは三五となっている(IMF換算レートは七八年)。そこでこの調査を行った若手の経済学者は、日本人の生活水準が「うさぎ小屋」どころではなく、いまや欧米水準を抜いたという事実を直視すべきだといっている。

 欧米と日本の生活慣習の違いや、為替レート換算の適否など問題はあるにしても、冷厳な数字面から出た事実は素直に受けとるべきかもしれない。もっとも国民一人当り所得ということになれば近い将来中近東の産油国が世界一になることはほぼ確実であろうから、この数字と実際の生活水準との間に距離があることは事実である。しかしそれにしても、日本人の生活水準がまさに世界一とは直ちに実感しがたいところであろう。情けないことに、このことはとくに大正時代から昭和ひと桁にかけて、つまり戦前の後進国日本に生をうけた世代の日本人にとっては抜きがたい感覚として残っている。

 そこで疑問が出る。食料品の価格はどうか。住宅問題はどうか。それにたいして先程の経済学者はこともなげにいう。なるほど日本の食料品は高い。しかしその品質と味は世界一ではないか。また日本の住宅事情は悪いようにいうが、日本ほど「土地つきマイホーム」の平等化を進めている国がほかにあるか。さらに日本の豊かさは、国民の健康水準、平均寿命の高さからもいえる。これは医者、看護婦、病院などの医療システムが世界一に進んでいるからである、と。

 いわれてみればそうかもしれない。だがもうこうなれば、国民性あるいは価値感の違いに帰着するであろう。あえて経済面の議論に限定すれば、ここで出てくるのは一国において年々生産され、受けとられるフローとしての所得の大きさではなく、そのフローの基底にある過去からのストックの問題である。このストックのなかで日本がどんなに成長しても永久に及ばないのは、もちろん土地である。住宅ローンが普及して、マイホームがどんなに増加しても土地の広さはどうにもならない。アメリカと肩を並べる所得水準に到達しても、いぜんとして貯蓄率が高く、所得向上心が旺盛な日本人のフラストレーションの根元はどうやらこの狭小な資源にあると思われるのである。