5組  森田善之助

 

 還暦を過ぎて思うことの一つは、残りの人生で何か集中的に勉強できるテーマを見つけたいということだった。過去を顧みると、アチコチかじるだけで薄っぺらな知識をえただけである。人に多少でも誇れるような体系的な知識は何もない。このまま人生の勉強を終えるのでは、いかにもさびしい。これからも食うために働かなければならぬから、毎日長時間のんぴり読書というわけにはいかぬが、今から始めれば、十五年や二十年(健康であれば)一つのテーマの勉強ができる。一日少しずつ本を読んでも、この期間のうちには、自分で満足できる知識をまとめることができよう。こう思って、しばらくいいテーマはないかと探していた。それに勉強というものは、趣味としてやる人もいるが、仕事(つまり多少でも収入)に結び付かぬと長続きするものではあるまい、というのが私の考えだった。

 こう考えているうちに、今年の初めに、ようやくこのテーマが決まった。中国の歴史である。このテーマに取り組むことに決めたのは、決して昨今のシルクロード・ブームのためだけではない。私の友人の、ある中国人の影響である。この人は日本の大学を出て、現在の中国政府の要職の人たちとも接触があり、日中間の文化、技術の交流をおもな仕事としている。なかなか立派な人物だが、ある日中文化交流の仕事について手伝ってくれぬかという依頼をうけた。この仕事は現段階ではまだ企画だけで、果して実を結ぶかどうかわからないが、内容はなかなか面白い。それにあまり時間をとらないから、プライベートにやれるし、軌道にのれば若干の収入もあげられそうだ。こう考えて承諾の返事をした。

 しかし、いやしくも中国の文化にふれる仕事を手伝うのに、中国の歴史にチンプンカンプンではお話にならない。勉強しなければ、お手伝いもできないし、恥をかくだけである。そこで中国の歴史を勉強しようーーこれこそ探し求めていたテーマだ、ということになったわけである。

 そう決めると早速丸善へ行って二十冊ほど本を買い込んだ。最初だから、とっつきやすい中国の歴史小説が中心である。井上靖、司馬遼太郎、陳舜臣などだが、みんな面白い。そして感動的である。恥しながら「天平の甍」も「楼蘭」「敦煌」も初めて読んだ。中国は四千年の歴史のなかで民族の興亡をくり返し、歴史の三分の一を戦乱に過ごしている。歴史そのものが、漢民族と異民族との抗争を中心に千変万化で、日本の歴史とは全く異質である。文化にしても万里の長城、敦煌石窟などスケールがケタ外れに大きい。東西文化交流の舞台となった西域も異民族が死闘の歴史を展開し、ロマンの香りがただよっている。

 本をかじり出したところなので中国の歴史について能書をいう資格はないが、この関係の本を読むと、司馬遼太郎の言葉ではないが、一種の興奮をおぼえる。これは中国の歴史のもつ躍動の大きさのためであり、またその歴史のかげに散る人間の悲劇の陰影のためのようだ。中国の歴史をこれからの私の人生の勉強テーマに選んだのは正解と思っている。

 中国の勉強を進めていくと、孔子、老荘の思想とか史記とか、いわゆる古典ものに取り組まねばならぬかと思うと、憂うつである。いま電車の往復に文庫本の吉川幸次郎著「中国の知恵」を読んでいる。これは随筆風の論語の解説だが、大思想家の孔子の言うことは、二千五百年後の私にもまださっばりわからない。読んでるうちに少しは身につくだろうと思って読んでいるだけだ。古典そのものを除く中国の歴史解説書は、書店で見る限り美術書なども含めて意外に少ない。これからは神田の古本屋でも探そうかと思っているが、この本を是非読めという方があったら、お知らせ願いたい。

 中国の文化の柱の一つは書画だが、現在の中国の書画の水準が文化大革命の影響などできわめて低いのは残念だ。古い時代の書画、陶磁器も戦乱のため殆んど滅失しているのも悲しいが、最近何回か日中の書展を見て恥入ったことは、書を見ていいなとは思うがさっぱり読めないし、勿論意味不明なことだ。これは字のくずし方を知らないためと悟って、書道も始めた。別に字がうまく書けるようにというわけではないので、くずし方を自習しているだけである。

 日中両国の関係がよくなったので、いま中国史を勉強している人は非常に多いと思う。その証拠に中国関係の出版もブームである。しかしブームとなると、とかく安物が出回る恐れがある。願くば権威ある良書がたくさん出て、小生もその思恵にあずかりたいと思う次第である。

 



卒業25周年記念アルバムより