5組 吉田 貞雄 |
学校を出てから四十年、今回記念文集を出すので、何か書くようにとの仰せで、過ぎた年月の諸々のことを思い出して見ると、この四十年、いや生れてから六十有余年が、よくもここまで生き永らえたものだとの感がするし、又一方感じ方によっては、アッという間の事にも感じられる誠に複雑な心境である。 百数十億年を経過したと云われる大宇宙の大きな時の流れから見れば一瞬にして過ぎ去る時間も、一人の人間の人生としてみれば、大河ドラマであり、山を越え、谷を渉り、時には喜劇を演じ、又時には悲劇を演じてやっと現在に辿り着いたのである。 大正の前半に生を享け、小平に、又国立に共に机を並べた私達は、現代のように、自由と物質に恵まれた若い人達と全く違う青春を送ったけれど、何れが幸福であるか、疑問に思えて仕方がない。 私は、小学生の頃、講談杜発行の小学生全集を愛読していた。その中に、確か「星の話」という表題だったと思うが、子供向天文学の一冊に非常に興味を持ち、我が家の二階の物干場で、色々の星座を、一年掛りで懸命に覚えた。夜毎に少しずつ移り変わる星座を全部知るには、一年掛りになる。当時は東京の空は、非常に綺麗で、大学時代も、季節毎に変る星座を楽しく眺めながら、宇宙の彼方にロマンの夢を見ていた。その頃は、六等星位迄見えていたが、今の都心では、二、三等星も見えるかどうか……。 軍隊に入り、幹部候補生となり、十九年二十年の頃は、熊谷の飛行学校で少年航空兵等の地上教育をするようになってから、夜生徒を飛行場に連れ出し、草原に仰向に寝かせ、星座を教えたこともある。夏の夜露に濡れながら、「夜方向を確かめるには星座を知るのが一番である。」とばかり得意になって、北極星のある小熊座、大熊座、天の河の中の白鳥座、その左右にある琴座の織女星、鷲座の牽牛星、南天の蠍座等々を指さして教えた。 又十一月の初め頃、夜更けにトイレに立って外に出た時、東の空にその年始めてオリオン座の荘厳な姿をハッキリと見た瞬間、何となく、宇宙は如何に広く大きいか、又それに対して、太陽系の中の地球が如何にとるに足らぬ程小さなものか、而もその小さな地球上で更に小さな人間達が争っている。人の生死は、人に踏み潰される蟻より小さな出来事ではないだろうか、という感慨で暫く東の空を眺めいっていた。そしていづれは南方の戦場で、日本では見ることの出来ない南十字星や大小マゼラン雲を仰ぎ見る日があるだろうと頭の中に星座表を刻み込んだこともあった。 今でも宇宙のことは好きで、地理物理から始まってブラックホール等天文に関する十数冊の本を集めているが、アインシュタインの特殊相対論や一般相対論とか、色々な高等数学の部分になると、いくら読み返しても理解できない。勿論素人に簡単にわかるようなものでないので、それはそれなりに「ソーナンダロー・・・」ということで無理矢理わかったことにしている。 時に、薄汚れた空の東京を離れて、空気の澄んだ地方の夜空を眺める機会があると、俗世間の生臭い、憤りたくなる物事にも、何か寛容の気分が湧いてくるのが不思議だ。 ある本によると、今地球上の重力加速度は、10m/sec2であるが、仮に、20m/sec2の加速度のロケットで宇宙旅行に出たとすると、光の速さで六年半、即ち6*10(14)kmの遠い彼方の星を往復するのに約九年かかる。ロケット上の人間が、九年後に地球に戻った時、地球上では一三〇年の年月が経過している。実際には燃料の問題で実現は先ず不可能であるが、理論的には正しいとのこと、浦島太郎の御伽話を思い出すような不思議である。 抑々宇宙の宇は空間を意味し、宙とは時間を意味するそうであるが、天文学では時間と空間は、切っても切れない関係にある。一般の人の常識では想像出来ないような宇宙の姿と、その動きを少しでも知ろうとするのは、楽しいことである。 今の世間が余りにセチ辛い為か、又は自分が還暦を過ぎて逆に年をとり始めた所為か、日頃の仕事に全く関係のない事に熱心になって、若し莫大な金と、時間があれば、人里離れた山の上に、私設天文台を建てて毎夜星を眺めていられたら……と「上の空」の心境の最近である。 最近は、月や惑星ロケットやら、ブラックホールが話題となり、又宇宙に関するSF小説とか、アニメーション映画等で、随分人が空に興味を持ち始めたようである。 |