5組  深山  巌

 

 終戦前から健康を害して父の郷里の山梨に二十年の八月まで疎開しておりましたが、戦後は教員として働くことに決心し、山梨県立の日川高等学校及び甲府第一高等学校で英語を担当することになりました。その頃の教え子が現在各方面で大活躍していることを考えると自分も老人になったことをつくづく感じます。
 二十九年の四月に静岡県の教育委員会の人事の責任者と一橋大学の佐々木高政氏(英語)とが親友でしたので、先生の紹介で沼津東高(昔の沼津中学)に転勤し住居を構え今日に至って居ります。
 学校の教師は夏休み、冬休み、学年末の休みは充分とれて時間的にはゆとりがありますが相手が品物でなく人間ですので外部の方たちが考える以上に気苦労の多い職業です。しかし、心掛け一つで読書は可成り出来ます。外国から新刊書を取り寄せて夜の更けるまで誰にも妨げられることなく本を味う楽しみは教師の特権かも知れません。

 話しが前後しますが、まだG、H、Qが東京に存在していた頃、昔、商大の予科で英語を教えてくれたスピンクス先生に偶然お会いできました。私が英語の教師をやる決意を先生に申し上げると、日本人は発音が下手だから発音の研究を徹底的にやれと励まされました。以来私は大学の音声学の講習会に出来るだけ出て頑張ってきました。これでも県の高校の若い英語教師に英語の音声学を講じる役を数回命ぜられました。

 五十三年三月沼津東高を退職に、現在は私立の静岡学園で現役の生徒と、浪人生とを教えております。毎朝七時四十七分三島発の新幹線で通っております。関西方面のいくつかの予備校で模擬テストの問題の作成を毎年何回か頼まれますので京都と大阪には時々出掛けるのですが東京には全く用事がありませんので、つい御無沙汰申上げております。

 昨年七月末から八月上旬にかけて二週間、イタリヤのナポリ、ローマ、フィレンツエ、ヴェニス、ミラノを見学し、スイスのジュネープを経てパリ、ロンドンを廻ってきました。今年は八月九日から二十一日まで主としてドイツを中心に見学し、ロンドンの一市民の家庭にホーム・スティする予定です。

 妻の同子(五十一歳)も英語を教えております。エイミ(長女)も元気で早稲田大学の政治経済学部で頑張っております。
 では近況お知らせまで。