6組  大居 啓司

 

 日本酒の利き酒会で入賞するコツを、その道の専門家から手ほどきをうけた。
 それによると、酒のよい悪いを判断するには、一に香り、二に色、三に味だそうである。上等の酒は、りんごやバナナのような果物の香りがする。そして透明度が高ければよい酒であり、利き酒に蛇の目の茶碗を使用することがあるのはこのためである。そして味は従たるものと考えよ、と云うのである。どうもこれでは酒を口にしないのが当るようで、いささか、釈然としない。善意に考えれば、飲む程に舌の感覚が麻痺してくるのだから、そんなものには頼るなとの教えともとれるが、どうも私には、お前の舌で味なんか解るものか、やめておけ、とうけとれる。つい、私でも、専門家でも、ふだん酒を飲む量は変わらないぞ、と云ってやりたくなるが、事実、利き酒会では、呑んべえはあまり賞に入らない。上位入賞者は、たいてい、下戸かそれに近い人が多い。

 小樽にいた頃、道産酒の宣伝のため、利き酒会を主催したことがある。そのとき、アトラクションとして、灘、東北、北海道の三つの酒を飲みわけるテストを行なった。これはなかなかむづかしく正解者が少ない。結果として、道産酒は、全国の酒に、品質において劣っていないことの証明となって、メデタシメデタシで終わるのであるが、このときはちょっとしたハプニングがあった。それは、道産酒の代表として、S社の市販の酒を、S社に内密で使用させてもらったが、たまたま参加したS社の社長さんが、自分のところで造った酒を間違ってしまったのである。後刻、これを聞かされた社長さんが、業界のうるさ型として有名な人であるが、お恥かしい次第で、ぜひご内聞に、と小さくなって謝まりに来られた姿は今でも忘れられない。

 Aさんは札幌で二流の料理店を経営している。彼の店では宴、酣ともなると、一級酒と称して、二級酒の混合酒が登場してくる。Aさんの名誉のために断わっておくが、これによってAさんが不当利得をあげているわけではない。Aさんの店は安いのが評判であり、上記の行為も宴会費を切り詰める方策でもある。以下Aさんの持論を紹介しよう。
 「米というものは、いろいろの種類の米を混ぜて炊けばおいしくなるものである。酒も同様で、数種の銘柄の酒を混合することによって、欠点は消され、逆にうまさは強く発揮するようになるものである。特級酒は、酒米を搗いて半分位にしたものを使用するから、値段が高くなるが、そんなことをしなくても、数種の酒を混合することによって、味のよい酒ができあがる。それはお客さんにとってもいい筈だ。」
 そして最後に声を落として、「ただ、仕入先の酒屋さんには頭があがらない。このからくりがばれてしまう。これが残念だ。」

 酒関係の業者の宴会では、各自が取り扱っている銘柄を順番で提供するか、或は、全部とりそろえるというように、うらみつらみのないように工夫されている。ビールは、全部の銘柄がテーブルに出されるのが通例となっている。Kさんは、ある酒問屋の幹部で、かなり茶目っ気のある人物であるが、仲間たちのパーテーで次のようないたづらを思いついた。彼はあらかじめ、自社の取り扱っているビールびんのラベルを、競走相手のビールびんのそれと貼り変えておいて、頃あいをみはからって、競走相手の人たちに、OOOOビールをどうぞ、と注ぎ廻った。彼のこのささやかな抵抗は、後程、私に語ったところによると、大成功をおさめたようである。ことほどにビールの飲みわけはむづかしい。

 あるとき、ウィスキーのメーカーであるE社から、見本用として、モルトの小びんが届けられているのを発見した。小さくとも回数が重なれば相当の量となっている。これを眺めながら、いささか生意気ではあるが、自分もウィスキーをブレンドしてみょうと思いたった。かねがね、先輩から、ウイスキー造りはブレンドの技術なりと、耳にたこができるほど聞かされていたからである。早速、知人からブレンド用のアルコールをわけていただき、期待に胸をおどらせながらとりかかったのである。ところが、いろいろと試みてみたが、気にいったものができあがらない。何べんやり直しても舌ざわりが悪い。あきらめてしばらく中断していたが、ある日、梅酒の水割を飲みながら、思いついて、小量のグラニュー糖を入れてみた。その時の気分のせいだろうか、何となくまろやかな味がして飲みやすい。ついうれしくなって他人にも飲ませたくなった。たまたま正月で来客が多い。そこで手製のウイスキーと称してすすめてみた。結果は上上、飲み心地よしとの大方の批評であった。ただ、以後しばらくの間、ウイスキーの味に自信を失ったのは当然の報いであると思っている。

 酒は今までも私にとって離れがたい存在であるし、老後を考える場合、これからもますます親密な間柄となるであろう。晩酌は数少ない楽しみの一つとなることは疑いない。それにも拘らず、私が述べてきたことは、とりようによっては、酒に対する不信感を助長することにもなりかねない。
 しかし、私は、問題は、酒そのものにあるのでなく、それを飲んで味わう人間の側にあるという気がしてならない。私は酒は、級別、銘柄にこだわることはないと思っているし、要はその味わいかたにあると信じている。上品ぶって高級酒を飲むこともないし、まして周囲に気がねしながら酒を飲むこともない。どんな酒も、それぞれの飲みかたがあり、それぞれの味わいかたがある。深夜、ヘネシーのXOで王侯の気分に陶然とするのもよいし、地方にでかけ、とれたばかりのさかなに、地酒の二級を飲むのもよい。

 



卒業25周年記念アルバムより