6組  (小坂 文人)

 

 私が六歳の時に亡くなった父親に関する思い出を浮かべようとしても確かなものは何もない。父と一緒に遊んだ記憶も全くなく、父の顔付すら、物心ついた後、残された写真や自画像から逆に思い浮かべる程度である。私は、この記憶の無さに悲しさを感じ、今、自分の子供達も成長した頃には何も私の事を思い出してはくれないだろうと愕然とする。ただ、父がもともと肺結核であった為に、子供達と父親とが、子供にとっても思い出を形成する大切な時期に、隔離されていたことが、思い出の欠如の本当の理由かもしれないと思ったりしてみる。

 しかし、去りいく者は、必ず何かしら遺して去っていく。それは、残された者の心の中にしっかりと刻みつけられている「思い出」である必要はない。些細な身の廻りの品々、衣服、文具、文字、言葉といったものが故人の肉声や仕草、或は魂を伝えようと、ささやかに存在している。それらは普段、遺品として、部屋の片隅にさりげなくしまわれているのだが、私達の日常を取りまく他の物にくらべて謎めいており神聖なものとしてありつづける。ふと、それらの遺品を取り出して手で触れてみる瞬間、故人はよみがえる。

 例えば、父がのこした新聞の切り抜き帖がある。戦後のプロ野球のニュースを端念に切って貼ってある。切り抜き帖を手にすると、鋏と糊を手にした父の姿が浮かんでくる。その時、私は父の周囲を這いまわり、手をだしておこられている。或いは獅子の顔が刻まれている六面体のガラスの文鎮。父の物なのか定かでもないのに、父がそれを手にして考え込んでいる姿が浮かんでくる。

 だが、最も私達の心を揺さぶるものは、父自身の手になる幾つもの絵画であった。それらは、日常の遺品と異なり、父自身の心と身体が投影されている。
 油絵で描かれたものは、全て家族並びに自身の肖像画だ。時には静物や風景を描いたものもあつたのかも知れないが、私は見たことがない。
 日本画で描かれたもので印象的なのは、私達の節句を祝って書かれた二つの掛軸である。私には、荒武者が今にも敵陣に討ってでようとしている絵が、姉には美しい雛壇に飾られた雛人形の絵が描かれている。その他、呉清源が碁盤に向っている姿を描いた色紙や、日本の玩具をいくつも描いた色紙などが残されている。

 元々画才に恵まれた手先の器用な人であった父にとって、最も困難な時期に、或は死の影がしのびよってくる時に、描くことによって心の平安を把もうとするのは、ごく自然だったのだろう。喰べることが最大の関心事である時代であればある程、最もパンから遠いところに身を置くことが、父自身にとっては深い意味をもっていたのかもしれない。
 それにしても、これらの絵画が今もって、私達の身近にあって、私達を見つめつづけているのが奇妙に思えたりする。

 とりわけ私にとって父の絵の多くが、愛する家族の肖像画であり、それ以外であり得なかったことが感動的におもえる。単なる趣味や暇つぶしの域をこえた、一人の人間として愛すべき人々にむけた切々たる愛情がここにはこめられている。そして死の影。
 一連の肖像画が作られた頃は、父がすでに病いに罹っていた時期にあたっている。描かれた私が四歳位だとすれば、それはもう死を目前に控えた頃の作品だ。
 どの絵にもどこかぬぐい去れない暗さ、悲しさ、がまつわりついているように感じられるのもそのせいかも知れない。
 にも拘らず、それは抑えられ、静かな落着きの中に吸収されている。

 「親しい者の死、これに耐える道はない。苦しみぬいた末、ようやく私は次のように考えるようになった。ある人間が生きている、ということは、私にとってどういうことか。私にとっては、その人間の顔が見え、声が聞こえる、ということに他ならない。とすれば、たとえ死んだ人間であっても、その顔が見え、その声がきこえている以上、私にとっては、その人間は生きているのと少しも変わらない」  (ジャコメッティー)

 残された者の悲しみよりも、去って行かねばならない者の苦しみは一層深い。死を身近に予感する者にとつて、置き去りにしていく家族とは、どれ程の重みをもつものだろうか。だが「苦しみぬいた末」に父もまたひとつの地点に辿りついたのではないだろうか。

 死に行く者の救いとは、残していく愛する人々の「顔が見え、声がきこえる」こと、同時に、残された者の心の中に、死に行く者の「顔がみえ、声がきこえ」てくれることを祈り信じることでしかない。

 死の予感の中で、父は、私達最も愛する家族の一人一人の顔や声を、自身の心の中にはっきりと刻みこむ為に画を描いたのではないだろうか。繰り返し繰り返し、父の心の中にイメージされる私達の姿。それが積み重なり、更に確かな型となって、キャンバスの中に塗りこめられていく。この丹念な作業を通じ、或いはモデルである私達を見つめつづけることにより、引き裂かれるはずの私達と父の距離が、まるで魔法のように溶解していってしまったのだろう。その瞬間に、死んでいく者と生者との境は超えられたのかも知れない。死者と生者をつなぐこれらの肖像画を、じっと眺めていると、そんな気持にとらわれてくる。

 父の死際がどうであつたか私は知らない。葬式の日に写された一枚の写真には、丸で何事もなかったかのように笑っている私と姉が写っている。

 しかし今残された絵を手元にたぐりよせてみると、父の死は実に静かなものであったと思えてくる。そして、今私には何んの定かな父の記憶もないといったのに、父の「顔がみえ、声がきこえ」まるで生きているような気持になる。私を何処からか見つめてくれている父の姿、そのまなざしをはっきりと浮かべることができるのである。