6組  田中順之助

 

 前回の卒業三十周年記念文集を今読み返し、その後の十年の何とまた早きことよ、還歴を機に職をひいて、全くの悠々不自適の生活に入ってからでも既に三年、総ては一瞬の内に過ぎてゆく様に思われます。

 まだその歳でもない事は万々承知しながらも、生涯余り健康に恵れず送って了った事もあってか、家族一同の心良い賛意を得て、念願の画作一筋の生活に入っております。
 もともとは真に老境に入ったら、近所のお子さんだの素人の方々に、お教えすると言うより、共に描き共に勉強すると言う様な生活を夢みていたので、加えて良い歳して何時も何かに打込んでいないとおられない性分も手伝ってか、懸命に頑張ってきた訳でして、お蔭様で、日本美術家連盟・新槐樹杜(上野の数ある団体の内でも、歴史ある同会の「之でもか、之でもか」と言った、ひたむきな、泥くさいばかりの画風、御大堀田清治先生の常々強調しておられる精神性に満ちたあの画風の、文字通り虜となって了い、然し所詮は高嶺の花かと、残念乍ら他の二・三の団体を浮気して数年を徒費して了いましたが、三・四年前から敢て挑んで参りました。
 青郊会(各団体の中堅、と言っても殆どが七十歳前後の方々の、同志的な二十人前後の集り。)等々夫々会員として推挙を受け、一応形こそ整いはしたものの、皮肉な事に面倒な画塾類似の如き、今は念頭からうすれて了い、小品でも良い自分のlevelでの事乍ら納得のゆく作品を一点でも物したいものと、日がな一日canvasに向つて送つており、夫は夫でシンドイ限りで、幸い四・五軒先にある武蔵野Loan Tennis Clubで息抜きに一・二時間、よくしたもので似た様たロートル組が結構おり、白球に欝を散じてると言った処です。
 と言いますと如何にも優雅な様ですが、生活は当然つましい限りで、家族にはすまなく思いもしますが、然し数年たった今日も共鳴してくれてるのは、何とも心の重荷が多少とも軽く有難い限りです。

 此の処年余にわたり体調振わず、画作の外は中断を余儀なくされてましたが、夫れも次第に快方に向いつつあり、生活もそろそろ軌道にのせなくてはと思っております。
 幸い息子も娘も片づき、その嫁とり婿とりが之亦共にtennis courtで出来て了い、息子(日産ディーゼルエ業葛ホ務)は仲間の御紹介で出来て、既に一児の親、娘はcourtで自然発生的にさっさと出来て了いこの三月にgoal in、相手は学校教師(中大法)でpianoを教える事に極めて意欲的な娘には転任のないのもmeritの様で、何れもまずまずと言った処。
 我々夫妻としては手間ひま凡そかからず、之も愚息どものせめてもの孝養か、など勝手に解釈したり、先ずは小生も人間としての、社会的家庭的責務を一応果し得た様な心境です。

 若かりし頃の小説類の耽読癖は今も変らず、今更と思い乍らも、ロマン・ロラン、ドストエフスキー全集等を買込んできては読み耽り、色々な感銘・感慨永年にわたる雑多な経験に徴しても、人間努力にslideせざる事の余りにも多かったり、事は思ひもせぬ方向に進展していって了い、軌道修正など凡そ考えられない人力をこえて厳しく定められた道であり事であると言った事の余りにも多く、概ねは「運命」と言うか「神のみ胸」と言わんか、そう言ったその昔とは違った深い感銘をうけ感慨に耽ったりしている今日この頃です。
 諸兄には御無沙汰勝ちだったばかりに、長々と近況を認めた次第です。諸兄の御多幸を祈りあげます。

 



卒業25周年記念アルバムより