6組  中山幸治郎

 

 この世に生を受けて六十有余年、よう今迄なが持ちして来たものよと感心もするが無茶な使い方をしてきた体の部品にも大分ガタがついてきて修理やら部品交換やらと寧日のない昨今、「さよなら」といふ日も遠い先ではないと思うと今更人間の霊と云うものがあるのかと考えさせられる。
 先日も業務上知己の方でこの研究に造詣の深い方である事が図らずも話題の進展から始めて知り、長談議の宗教論を拝聴する仕儀と相成り、同氏がコツコツと書き貯めた労作二冊をお預りして熟読を約した。
 同氏は霊の実在を信じ、それを色々の方角から見つめる事によって安心を得ている様で、人間が生を受ける時は霊界よりの指示を受けて霊魂の一つがその子に入り込むと云う幽幻な説も論じていた。そうなると現在の私は以前は誰だったのだらう、この次はどんな人に生れ替るのだらうと興味の尽きない命題に進展する。
 現世があまりに虚偽に満ち労苦が多すぎるが為に、安楽な真実の後世を得たいとする人間本来の願望が宗教の教義となりそれに添う事によって安心立命の境地を得るわけであらうが現在の私には未だ割り切れない未熟者である。

 戦後混乱の時期、ニューヨーク店開設の命を受けて、駐在していた当時、日本を離れて約一年を経たある月曜の朝、例の如く電報配達人から本社からの電報の一束を受取った。
 紐を切り封筒の窓から、中の電報が自分宛かどうか、確め始めた時、一番初めの電信を手にして何か妙な胸騒ぎがしたので、先づその封を開いた。人事部長から「母上の御逝去をいたむ」と簡単な文言で故郷に残して来た母の死去を知らせて来たのである。勿論日本自体外貨事情の苦しい時期であり、帰国せよとは云ってないし、自分でも任地を離れる事を考える余裕も出ない時代であるから帰国する意図はなかったが、しばし業務も手につかず、渡米当時脳溢血で倒れ療養中の母に別れに帰省した時なかなか手を離してくれず、逃げる様に玄関迄出てきた時、病床から式台迄、いざり出てきて手をにぎり、うるんだ様な目で一生懸命話しかけ様とするので出発が苦しかった当時の面影が去来した。

 電信を受取った時の胸騒ぎは霊感なのだらうか、母の霊がニューヨーク迄飛んで来たのだらうか、その日から一週間は夜寝るたびに母の夢、まだ若々しい、フックリと肥った当時の母の夢を見た。私自身、とても帰国出来ないと云う気持が凝縮して夢となるのだらうか。
 何れにせよ、久し振りに母の元気な顔が見れると云う楽しみから夢の出合が待ち望まれた。

 当時その気持を母の墓前に報告したく航空便に託した処妹が母の霊前にて読出したが涙が出て続けられなかったとの知らせがあった。霊魂は実在するものではなく、各人の心の中に存在する霊感が結集された時、霊魂の形を形成するものではないだらうか、人間が本来具えている動物的な霊感は仲々貴重な存在である。単純に(+)(-)の静電気説だけでは納得出来ない神秘的な役割りを演じてくれる。
 人の好悪もこの電気説で説明される事があり、自分自身でもそれを信じて、出来るだけ人を信じ自分から(-)を放出する事を避ける事に努めて来た。
 必ずしも一〇〇%満足な結果を得られたわけではないが少くとも人から悪感を持たれる機会はより数少く業務上、必要な対人関係にも役立ってくれた事が多々ある。この様な人間本来具えている感覚が時に他よりの要因によって凝縮しその人の霊魂と云う形に具現されるのではないだろうか。従って霊は、いつでも引出す事が出来る不滅の存在となる。
 精々我々の持っている霊感を大事にして、残り少いこの世の楽しみを更に追加して行きたいものである。

 



卒業25周年記念アルバムより