6組  仁品  正

 

 何とか世間の老人なみに、落付いて、のどかな投稿をし度いと思っていた。
 老人の、老人らしい、うしろ向きの感慨など、案外共感を呼ぴ、お互い若かったなあ、と思ってくれる人も、ひょっとしたらいてくれるか、と。

 処が締切日もとっくにすぎて、クラス委員の鈴木御同役からも、たびたび督促をうけるにおよび、いよいよ焦燥の極、となると落付いていられなくなった。
 生い立ちのことなど、予科同時入学の諸兄の知らないことなど書いておけば、たとえ皮は残さないまでも、小生の九九パーセントは、諸兄の記憶の中に「好むと否とに拘らず、文字の暴力により残すことができよう。また少くともみんなの記憶を総合集計すればそうできる筈だと夢想していたことなど、程遠い状態となって了った。こう云う事は、焦れば焦るほど、薀蓄の無さも露見におよび、うろたえる許りである。

 石は言い訳にすぎない。現に数年前退職の時は、向かっ腹も立っていたこともあり、引継申し送り書を書き乍ら、三、四日位徹夜に近い日々を送ったが、今更徹夜することも、明日遅刻すると困るなどと、神妙な配慮は勿論持なないが、周囲の雑音ばかりいやに耳に入ってくる。勿論これは一日中でも一番うるさくて心落付かない宵の口のせいでもある。
 つい、一杯が二杯とスピードがつく。そして、善幸さんの訪欧が期待外れとか、レーガンの支持率がどうとか、とりとめがない。然し、ベテラン国際政治プロと、年功序列型の首相や、役者上りの大統領とを直接比較した短絡比較論であろう。旅行中天候不順だったと報導してくれれば、素直に、同情できるのに。
 むしろ、藤田監督の突然の不調で、王ちゃん初の監督代行が黒星だったとか、ウインブルドン優勝のマッケンローは史上最大のペナルテイをとらわたとか、赤ヘルがビリになつて古葉君げっそりとか、事実だけの話が身近に感じられる。

 毎朝々々、これでもかと許り悲しい人殺し、自殺が紙面を大きく占領する、蛇足、尾鰭盛り沢山の記事は無くても良い。そうでなくても新聞の五〇%以上のスペースは広告なのだから。
 やっと朝の電車に乗り込んで吊り環にぶら下ったとたんに、つぎからつぎと、尻から押し込んでくる。そのまま寄りかかって、マンガや馬新聞を開く。よくもこんな不自然な姿勢のまま二〇分も三〇分も立っていられるのである。走行中の電車の中で、どう踏ん張ったら自分の重心を自分の足の裏で支えることができるか。講釈もし度くなってくる。然し、「クソジジイ」と云われるとみっともないから、黙々と外の景色を見る時の、やるかたなき憤懣。誠に衛生に悪い日常である。

 小さい頃、学校の修身の時間は校長先生の専任だった。校長先生は修身の権化であった。
 村長さんや、村会議長さんとは全く違った神様のような存在であった。八幡さまの神主さんよりも厳かな存在であった。校長先生のお嬢さんが一年上級生だったが、泉鏡花ではないが、まるで口をきくことも畏れ多い、尊い存在に思えていたものだ。いまどき、そう云う尊い神様が失われて了った事は、返すがえすも、淋しい世の中になった。

 ひと時代、無敵と云われた力道山、仲々目先のきいた商売人と思っていた。その彼はドスには弱かったが、NY興業にやって来て、市内の日本料理店では強く、無銭飲食はやるわ、弟子までこれを習う場面まで見て了ったが、エリートリポーターは何にも本国に報告しなかった。矢張り力道山は強かったのか。この文章もほめられたものとは毛頭思いもしないが、最近のエリートリポーターも情ない。大いに世の中に、今こそ警鐘を叩き、健全な良識と正義の味方と、畏敬する彼等の綴り方の近頃乱調なのは何とした事であろう。
 なぜ、辞書に書いてある通りの、いや読んだことがないのかもしれないな、と考えなおしてみる。高校の先生は教えてくれなかった、とゆうことで世の中に通用するとするとこれも不可思議、誰も咎めないから良いのだと短絡して了ったのか。これでは猫婆正当論ではないか、まして、国語審議会の先生がたが、漢字を制限したり、仮名遣いを発音通りにしよう、などと大義明分論に似た論法を振りかざして甘やかすから、学校の先生がたも「ソレガイイ、ソレガイイ」といいましたとなったのか。

 小生には、幸にして、小さい頃、身近に校長先生とゆう「物差し」があった。大きくなっても、遠く離れて、今では消息も知れなくても、そのものさしは生きていると信じている。このものさしが、近頃てんで合わなくなったような最近の環境である。

 「うそつきは、どろぽうのはじまり」、と教えられた。然し、どっちが先なのだろう。泥棒してから嘘をつくようになったのかも知れないではないか。早い話が、角栄さんだって、始めからアンナこと云う人だったら、あんなに先輩を押しのけて偉いポジションにつけただろうか。いや、追いつけ、追い越せの号令は、その十年前からムードを作っていて、親方日の丸の雷同性にうまくマッチした状況下では、始めから嘘でかためた演技で乗り切らざるを得ないとゆう、気の毒な環境に置かれていたのかも知れない。これは、凡人の、並大抵の努力の及ぶところではない。矢っ張り、雑魚と違うんだナ、と納得する。

 須らく、人生は演技である。ひとなみになどと言う言葉が出る時は、既に負けているのだろう。
 最近うそがよく売れているそうだ。誤訳文学とゆうのだろうか。しかし、訳者の責任もさることながら、原文となるであろう最近の日本語も、その一因ではないだろうか。鏡に写してはねかえっているのではないか。我々は自分の姿を正面から見据える機会がない。鏡に写っているのは、ネガである。

 外人は、日本人の翻訳した外国文が下手だなどと失礼な批判は、滅多に口にしないが、自分の知識の範囲内で推測解釈してくれる。彼等の結論は、矢っ張り日本文化が低いと云う処に行って了わないか。政府のPRとか、文部省がパンフレットの改訂版を出したぐらいでは追いつかない。実証主義の彼等の文化意識の中では、重信女史は例外的存在だと、肩をいからせるだけ、彼等には日本そのものが不可解に思えてくるのではないか。パリやアテネの情ないニュース。、犯罪発生率が国によって大きく違う筈は無かろうと思うのだが。

 他方では、外国での日本人は金払いが潔白で、小走りに走り廻る勤勉さが、ネイテイブどもをして、目をみはらせているのではないか。国内消費物価指数に詳しく、経済伸長率の驚異的上昇の裏づけ解説の上手な、パーセンテージに敏感で、博識なトアン・ブッサールが、チップを倍も出すだけでなく、御丁重にも、3・9!!3・9!!と頭を下げて、心にもなく見栄を張ったつもりでいるから、商取引上大歓迎を、これも心にもなく、せざるを得ず、そんなお客を粗末にするわけがないではないか、或いは半信半疑で、半ば優越感さえ持つかも知れないけれど。

 八ツ当りし乍ら、杯を重ねて考えてみても、今更現役の先生方を三年なり、五年なり合宿させて、再教育するヒマも金もない日本では、せめて一人一人が考えなおして、自然の法則を勉強してみる必要がある。
 もう少し、起承転結がうまくゆくと「これで飯が食えたのかも知れないのに、もう六十三にもなって了った。尤もこのうち初めから二十年ぐらいは必ずしも自分だけのせいではないと思うが。
 小生を大学に進ませたと知った村の人が、「若さんを大学に入れて、校長さんにでもなりなさるのか」と、おふくろもさぞかし返事に窮したことだろうと思う。小生自身にも分っていたわけでもなし、医者と造船技師との妥協点として、実業界と云われる方向えの窓口と思われる学校を撰んだに過ぎなかった。要するにレールを予想しない首途出であった。

 今年で八十五歳になり、耳も遠くなったおふくろと、生涯ワンマンを頑と貫ぬいて、広島でわびしく、自分も九十歳の峠も越えたおやじどのも、困ったことになったと思っているに違いない。小生もほんとに困ったことになりそうだな、と考えはじめてすでに二十年たって了った。現に困った事になっている事も確かである。
 ふだんは、ひと様の前でシャベル事が苦手で、そんな経験も少ない小生が、つい十二月クラブの雰囲気の中で、酔うにはかなり足りない感じのビールのせいか、と悔まれるのは身につける記念品の一件である。もっと適任の人があった筈であるにもかかわらず、である。あれか、これか、とその積りになって考えながらも、具体化する前が華であった。チャチなものならやめて了う、と尻をまくる積りでいたうちは気持もいくらか軽かった。
 今は、いっそ一年か半年でも、アフリカあたりにでも逃げ出そうか、と考えるに至ってはちょっと可愛想と思いませんか。

 われを忘れて一本一本漕いでいれば、いづれはゴールに着くことは分っていながらも、一本づつ渾身の力をこめて引き切ったあとの大きな泡を、心地よく見送る余猶もなく、あたふた、バシャバシャやっている毎日である。ゴールは無心に近づいてくる。
 世の中、いろいろあって、目が放せないほど面白い事がたくさんある。内心は困った困ったの毎日とは裏腹に、ほんとは困ってなんかいないかも知れない。これも、生身のあかしであろうか。

 卒業四十周年の記念と名のつく文集に、こんな文章が未代まで残ること自体が、困った事だと思う。諸兄の健康一番御自愛を祈ります。

 



卒業25周年記念アルバムより