6組  長谷川 威

 

 ○ 学生時代をふり返って

 卒業後四十年を経た今日、学生時代の思い出を辿れば何と云ってもあの小平原頭、マーキュリー輝く予科の頃が真先に瞼に浮かんでくる。とりわけ新築なったばかりの一橋寮で第一回寮生として青春を思い切り爆発させた一年間の印象は容易に消え去るものではなく、まだ自然が豊かに残っていた武蔵野の櫟林に曝きかける薫風とともに次から次へと記憶が甦ってくる。

 たまたま私の部屋は北寮三番で中牟田、一森、一瀬、桜井の諸君と一緒だったが毎晩よく語りよく騒いだ。そのじぶんのことで懐しく想い出されるのは名委員長杉山来蔵先輩の歌声だ。それも隣室から聞えてくるもので曲は無情の夢の一ふしである。しんみりと「あきらめましようと別れてみたが……」に始まり「命をかけた恋じゃもの……」と張り上げる杉山先輩の独特の渋いのどは当時中学を出たばかりの私の胸には切々と迫るものがあって今でも忘れ得ない。

 また寮窓夜半灯の消えた頃廊下をそぞろに歩いていると、どこの部屋からか当時流行していた「暗い日曜日」のメロディーが洩れてきて若い多感な魂をゆさぶられたものである。そう云えば酒も煙草もおぼえたのも寮生時代であった。矢張り寮生の頃は私にとって花の青春時代であったなあと今ではただ深い感慨にふけるのみである。

 ○ 恩師について

 恩師上田辰之助先生と云えば先づ頭に浮かんでくるのは先生の堂々たる巨躯と華麗なアヤノ夫人と書斉に掲げられたトマス・アキナスの大きな肖像画である。私などは先生にとってはどんじりに控えたまさに不肖の弟子であった。にも拘らず私は卒業後も先生の御自宅にはしげしげと御出入りさせて頂き御夫妻には随分と可愛がってもらったものである。

 先生の御宅にはコリー種であろうか房々とした白い巨犬を家の中で飼っておられたが、いつも玄関の戸を開けた途端、度肚を抜くような声で吠えかかられ閉口した覚えがある。そんな時先生はニコニコし乍ら「大丈夫だ。大丈夫だ。」と犬を押えつつ私を茶の間に通し奥様と御一緒に家族的なおもてなしをして下さった。当時の光景を思い浮かべると今でも先生御夫妻の御厚情が胸をついて目頭が熱くなる。矢張りその頃のことで先生について私には次のような忘れ難い思い出がある。それは大平洋戦争も末期に近づき本土上陸作戦、あるいは一億玉砕などという得体のしれない地獄の咆哮が日本全土をつつんでいた時期であった。同窓の諸君は遠く戦地にあり、ひとり銃後にとり残された私は結局死への道しか選べないのかと重苦しい毎日に悩まされていたが、語るに同憂の友とてなく思い余って一日先生の御教示を受けに御訪ねしたことがあった。その時先生の仰っしゃったのは次のひと言であった。
 「君、日本は出直しだよ。」、と。

 出直しだって?
 出直しなどという発想が今の日本にあり得るのだろうか。いつしか国家主義的思想統制の影響を受けていたコチコチの自分の頭脳もこの先生の電撃的一言で夢からさめた思いがし前途に向って生きる光明を見出すことが出来たのである。あゝ先生逝いてすでに二十五年、今は静かに御冥福を祈るのみ。

 ○ 亡友について

 亡友のことを偲べば流芳会の小坂君、福田君、小島君、塩川君等次々となつかしい面影が浮かんでくるが今や幽明境をへだててときに語るすべもない。さてクラスは違うが私は弓道部関係で特に親交のあった三浦庸三郎君のことが気にかかって仕方がない。彼は本当に故人となったのであろうか。彼の最期について詳報を誰からも聞いてない私は彼がまだ何処かで生きているような気さえするのである。ところが三浦君についてはいろいろ語ることがあるが学部二年の頃だったか二人で東北、北海道方面に弥次喜多旅行をしたのも楽しい思い出である。

 彼は三浦学長の口真似が得意で道中「エホバの神があー」などを云って私を笑わしてくれたものである。また彼は卒業間近かに胸を患って倒れたことがあった。彼はこの時病魔を克服すべく御両親ともども法華宗に帰依した。朝日のさしこむ時刻、一家をあげて大太鼓、打扇太鼓を打ち鳴らしつゝ御題目を朗々と唱和している有様は実に盛観であった。

 その効あってか彼は間もなく健康をとり戻した。しかしその彼にもやがて赤紙が届いた。応召の前夜別れを惜しむべく私は鷺の宮の彼の家へ向った。寒い冬の一夜であった。宴終った頃彼はピアノに向って得意のモーツアルトのトルコ行進曲を弾いてくれた。聞いているうち私は何かたまらない気持になって窓を開けた。夜空を見上げるといつしか粉雪が曲に乗るように絶え間なく舞いおりてくるのが印象的であった。それから数ヶ月もたったであろうか、今度は私が肋膜を病んで代々木の母の家で静養する身となった。一日、すっかり元気になった三浦君は軍服姿で私の病床を見舞ってくれた。そして私の手首をつかんで「やせたなあ。」と云ってくれた。それが三浦君との最後の出会いであった。繰り返すようだが彼はまだ地球のどこかで生きているような気がしてならない。空しいかもしれないがそうあってほしいと祈らざるを得ない今の気持ちである。

 ○ 人生について

 花のいのちは短かくて多病ゆえに苦しきことのみ多かった自分の人生についてひとに語る気はしない。
 ただ人生一般については還歴もとうに過ぎたと云ふのに何一つ分った気がしない。虚無、不可解、不気味といった形容しがたいものが行手にとぐろを巻いているようでこのまま死を迎えるとしたらまことに情ないことだと思う。もっともハイデッカーの実存主義的表現をかりれば自分という現存在は本来態の自己に立ち戻ることはまれで常に日常態の自己に頽落しているわけだから人生に関する諦観などこの期に及んで望んでも無理といふものかもしれない。

 ○ 宗教について

 どちらかと云えば私は宗教には関心の深い方である。しかもキリスト教より東洋的神秘感のただよう仏教に強く心を惹かれる。
 ひところ自分の非力もかえりみず道元の正法眼蔵に挑戦してみたがヒマラヤの霊峰を迎ぎ見るようで全く歯が立たず我乍ら笑止千万であった。そこで易行の親鸞にもすがってみたがこれも素直に本願信仰に即入出来ず中途半端な悩みを続けているのが偽らざる現状である。
 そんな関係で目下の私の愛読書は歎異抄、盤桂禅師法話集、ウォールシュ著「仏教の原像を求めて」等宗教的なものばかりである。

 



卒業25周年記念アルバムより